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第3陣活動報告書・文化祭用簡易版
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    明治学院東村山高校有志ボランティア・チーム第3陣

     

    日時:2011年7月27日〜7月30日 3泊4日

    参加人数:14名(高3生徒4名、高2生徒1名、高1生徒3名、卒業生1名、神学生1名、運転手1名、教職員3名)

    現地受け入れ団体:日本キリスト教団東北教区被災者支援センター

             NPO法人ぐるっと

    現地受け入れ協力教会:日本キリスト教団石巻山城町教会、涌谷教会

    宿泊場所:涌谷町立篦岳公民館

     

    <プログラム>

    7月27日 東京から仙台へ。被災者支援センターで第2陣と合同礼拝。仙台市若林区荒浜を視察後、涌谷へ。

    7月28日 石巻山城町教会を訪問し、日和山とその周辺を視察。石巻市渡波町祝田地区で畑の砂出しと草刈り、被災家庭の掃除などをおこなう。帰りに第2陣で流しうーめんの炊き出しをさせていただいた広渕小学校避難所を訪問。

    7月29日 木の屋石巻水産の缶詰工場で、缶詰の洗浄と、食用不要となった缶詰の分別廃棄作業をおこなう。帰りに涌谷教会を訪問。

     

     

    7月30日 東松島市奥松島の月浜海岸で閉会礼拝後、東京へ。

     

     

    「あの被災地にあったもの」福田浩也

    絶望の中、ひときわ輝いているものがありました。それは人々の「笑顔」です。地震や津波によって、何万人の人々の命が失われた、思い出のあの場所が流された、そんな中でも人々の「笑顔」は生きていました。ぼくは「こんな状況でよく笑えるな」と思いました。しかし、今考えたら本当は不安でいっぱいだったのかもしれません。その「笑顔」たちをぼくは忘れられないでしょう。復興にはまだまだ時間がかかるでしょうが、将来には必ず復興を終えるときがやってくるはずです。それまでにもう一度足を運びボランティアをしようと思います。被災地のために何かしたいという気持ちがまだ残っているからです。そして復興を終えて、本当の姿に戻っていく東北の姿、そしてあの「笑顔」をもう一度見たいです。

     

    「ボランティア活動を終えて」恩田朋美

     二日目は、缶詰工場に行きました。臭くて、ハエがたくさんいて、泥だらけで慣れない現場で、「帰りたい」と思ってしまいましたが、こういう所で毎日働いている人のことを思うと、「そんな弱音を吐いている場合ではない」と思い、全力でやりました。一日中やりましたが、思ったよりまだまだ片付いていなくて悔しかったです。でも終わったときには臭いのにも慣れ、「もっとやりたい」と思っている自分がいました。また、その日の夕方に、学校に避難している方々にご挨拶をしに行きました。その時、あの日一日で家や家族を失ってしまった方々がどれだけいるのか身に感じました。

    ボランティア・ワークを通して、人に支えられるありがたさ、感謝の気持ちをもつ大切さがあらためて分かりました。それから、自分の心の在り方など成長することができたと思います。またこの気持ちを大切にして、これからも募金など身近にできることから一つ一つ取り組んでいきたいです。

     

    「忘れない」藤田 観

     2日目。日和山から石巻市を初めて見た。重機が瓦礫の撤去する音が響き渡り、地表は黒ずみ悪臭があって、不穏な感じがした。自然災害というより悪意を持って破壊された空襲跡のようだった。家の前に置かれた供え物は子供のためのようで、胸を締め付けられる気がした。津波の到達地点や火災が発生した小学校の話を聞いた。「地獄」という言葉が思い浮かんだ。適切ではないかもしれないけれど、その光景を思い浮かべるとそう思われた。ボランティア先の祝田地区に着くとすぐさま作業を始めた。畑に津波でかぶった砂を集めた。見ただけでは分からないが砂の厚さと量がものすごい。現場はあまりに打ち解けていて、ほかのボランティアの人をそこの家の人かと間違えた。すぐ隣の家は大破していて津波の存在を強く感じさせた。いくつかの家は撤去するらしい。「被災地は動き変化し続けている」。近隣の方々は差し入れなどを下さり親戚として呼ばれたかのように思った。

     

    「自分自身で感じて」小松原もなみ

    私たち第3陣は2日目石巻市渡波地区に行き、あるおばあさんの家で、潮水をかぶった壁や、タンスを掃除しました。その家には、約2メートル40センチもの高さの津波がきたそうです。家には、くっきりと津波がきたところまで線がはいっていました。私はそのおばあさんから、震災当日の話を聞きました。なかでも、一番聞いていて印象に残ったのは、津波がきて潮水をかぶってしまった写真をすべて捨てた、という話です。思い出を鮮明に写し出している写真を捨てることは、とてもつらかったと思います。このおばあちゃんの話を聞いていて、自然が何もかも奪ってしまったということの意味を感じることが出来ました。

      

    「これからも」佐野和也

     2日目は石巻市に移動しました。瓦礫の撤去作業をする重機の音や、においがとても印象的でした。石巻市は市街地で被害も大きく、たくさんの命が奪われた場所であったため、街の空気に重みを感じました。その後、私たちは渡波町でワークを行いました。他の団体と共同で作業を行い人数も多かったにもかかわらず、畑を綺麗にするのに苦労しました。3日目は缶詰め工場での活動でした。処分が決まった缶詰めを廃虚する簡単な作業でしたが工場の中は悪臭と、大量のハエがいる中での作業だったので想像以上に大変な作業でした。2日間のワークを通して私たちのやっていることは非常に小さなことであると感じ「微力」という言葉の意味が理解できました。

      

    「その時感じたこと」岡崎 翼

     3日目は缶詰め工場でワークを行いました。缶詰め工場に到着して最初に感じたことは、ハエの多さと悪臭でした。作業している最中も常に身体にハエがついている状態で、強烈な臭いをマスク越しに感じました。作業は売り物になるものの泥落としと売り物にならないものの廃棄の分別作業を2つのグループに分かれ、流れ作業で行いました。流れ作業を行ったことで作業がはかどり、より多くの缶を分別することができました。そこで感じたことは、ボランティアをする上でチームワークが大切だと思いました。

    4日目に奥松島で見た光景は4日間の中で自分にとって一番衝撃的でした。目の前に広がるのは穏やかな海。その後ろは瓦礫の山。このギャップはとても衝撃的でした。海の近くまで行き中をのぞいて見ると、エイらしき物が浮いていました。波に揺られて流れくるその物体を見てみると、正体は絨毯でした。後ろを振り返り、そこで生活していた人々を想像すると心が痛みました。

     今自分が思うことは、今回のボランティアを始まりにするということです。自分が体験したことを多くの人に伝え、より多くの人が現地に行き、現地のこと知ってもらえるようにしたいです。自分もまた、ボランティアをしたときの現地しか知りません。あの場所に戻り、その時だけのボランティアにしないように活動を継続していきたいです。


    「様々な思い」神山彰宏
     私がこの4日間で言われた1番印象に残っている言葉は、「君たちにとっては被災地かもしれないけど、それは同時にその人たちにとっても故郷でもあるんだよ」という言葉です。私はこれを聞いたとき、「被災地、被災地」と軽はずみに言っていた自分の心に、大きなものがのしかかってくるような気がしました。ここで私は言葉の重みというものを実感しました。私は実際に被災地に行かせていただき、「伝える」という立場になりました。「伝える」ということは、容易なことではないとわかっているけど、まず、私が思うことは、多くの人に、今の状況というものを、実際に行って目で感じてもらいたいということです。復興には、どれだけの時間がかかるかはわかりません。復興のために自分が出来ることを、これからも継続的に頑張っていこうと思います。そして再びあの地へ戻り、変化というものを目で見て感じていきたいです。
     
      

    「人の強さ」垣渕美有
    ワーク終了後は、達成感があった。何なのかはわからないが、とにかく、やりきった感が自分の中にはあった。だが、実際には私のできたことなど些細なことで、まだまだ缶詰は山積みにされていた。そんな些細なことでも、それらの缶詰が東京で売られ、誰かが購入し、小さいが復興につながるのだと思うと、嬉しさが込みあげてくるのである。
     ボランティアに行く前と今とで、私の中でもっとも大きく変化したことは“言葉”の捉え方である。上手く表現することができないが、“ボランティア”という言葉が、厚かましく思うようになった。一方的で、被災者の意志は無いように感じるのである。他には、“被災地”や“被災者”という言葉にも抵抗を覚えた。たとえどんな状況になったとしても、その場所は住んでいる方にとってはかけがえのない故郷なのである。ボランティアに行き、自然の力の恐ろしさと人の強さを知った。友達に話していてもうまく伝えられないもどかしさや、悔しさがあるが、それでも自分に伝えられる範囲で話していこうと思った。

      

    「絶望ではない」馬場 勇樹

     最初、私は、この被災地には絶望しかなく、そこには生きる希望を失った人がいる。このような先入観を勝手に抱いていました。しかし、実際にその地に行って、わずかな間でもその地にいる人と触れ合ってみて、そのような先入観が間違いだと気がつかされました。確かに被害は甚大で、その光景だけを見れば、絶望的で人間の無力さをつくづく感じます。しかし、それでも人間は力強く生きていこうとするのです。そのような、人間の持っている逞しさ力強さを私は感じました。そこで、私はこの人間が持っている、逞しさや力強さに懸けた言葉を語っていきたいです。つまり、人間だけでこの逞しさや力強さを持続する事は難しく、そこにキリストが共におられるという事を語っていきたいと感じました。そして、力強く「明日も生きていこう」と思えるような言葉を語っていく事ができたらと感じました。


    「へりくだる心と感謝する心」福島 芳昭

     今まであまり疑問に思うことのなかった言葉、「ボランティア」。私は、ボランティアとは労働力を必要としている人・場所に出向き、社会奉仕活動を行う人、と思っていました。傲慢な言い方をすれば、被災地のために労しに来た人、になるでしょうか。しかし、そもそも被災地の方々はボランティアをどう受け止めているのか。住み慣れた土地が被災し、その復興のために被災地に足を踏み入れるボランティア。確かに復興のための労働力は必要ですが、今まで出来上がったコミュニティーの中に、ボランティアと言う異分子がぽっと入り込む。果たして被災地の方々はそれを望んでいるのだろうか。他人の家に土足で上がるような、失礼な行為なのではないか。ボランティアだからお手伝いに来ましたよ、という安易な気持ちで被災地に入ってはいけないと感じました。まず被災者の方々に、被災地で労することを認めてもらうこと、それがあって初めてボランティア活動ができるのではないでしょうか。まず、へりくだる心。そして、ボランティア活動を通して、いっときでもコミュニティーに加えていただけることへの感謝の心。その気持ちを持つことによって、被災地の方々と接する、触れ合うことができる。ボランティア活動を行う人には、必要なことだと感じました。へりくだる心と感謝する心を持ち続けたいと思います。

     




    *感想文は抜粋です。全文は「第3陣感想文」をご覧ください。

    posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 07:30 | comments(0) | - | - | - |
    ボランティアを終えて(第3陣生徒の感想文8)
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      ボランティア活動を終えて

      明治学院東村山高等学校1年 恩田 朋美

       

       あの3月11日、私は電車のなかにいて、こんな大地震が東日本を襲っていたことなど全く知りませんでした。家に帰ってテレビをつけたとたん、家が燃えていて、その土地が津波によって壊されている映像が写しだされていました。そして、私の地区は計画停電になり、「こんなことをするよりも現地へ行って復興の手助けをすればいいのでは」と思い、今回ボランティアに参加しました。

       実際に参加してみて、テレビで見た通りに家の土台部分しか残っていないなど、津波の恐ろしさを知りました。また、日和山の高台に行って町の風景を見たとき、震災前は家がたくさんあって街並みがきれいだったのに、家の残骸で何もなくなっていて、一瞬で人々の生活する場がなくなってしまうことに衝撃を受けました。




       今回は、二日間にわたってボランティア・ワークをさせて頂きました。しかしそれは簡単なことではありませんでした。一日目は、やす子おばあちゃんという方の家の泥ふきをやりました。津波が2メートル30センチメートルも来たということで障子が破れてしまったり、隅々に土や砂、泥があり、タンスの引き出しを掃除するのに一時間以上かかりました。また、休憩中に3月11日のことについて色々話してくれて、とても貴重な話しを聞けて良かったです。




       二日目は、缶詰工場に行きました。臭くて、ハエがたくさんいて、泥だらけで慣れない現場で、「帰りたい」と思ってしまいましたが、こういう所で毎日働いている人のことを思うと、「そんな弱音を吐いている場合ではない」と思い、全力でやりました。一日中やりましたが、思ったよりまだまだ片付いていなくて悔しかったです。でも終わったときには臭いのにも慣れ、「もっとやりたい」と思っている自分がいました。また、その日の夕方に、学校に避難している方々にご挨拶をしに行きました。その時、あの日一日で家や家族を失ってしまった方々がどれだけいるのか身に感じました。




       今回ボランティアをさせていただいた経験は一生に一度あるかないかのことで、「本当にボランティアを出来ることが幸せで、ありがたい。」と思いました。ボランティアから帰ってきて、普通の生活に戻り、私は「普通に生活していいのだろうか?」と悩み、「ずっと被災地にいたい!」と思うこともありました。しかし、被災地の方々のために普通に生活することも大切なのではないかと思いました。

       ボランティア・ワークを通して、人に支えられるありがたさ、感謝の気持ちをもつ大切さがあらためて分かりました。それから、自分の心の在り方など成長することができたと思います。またこの気持ちを大切にして、これからも募金など身近にできることから一つ一つ取り組んでいきたいです。


       
      posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 07:17 | comments(0) | - | - | - |
      人の強さ(第3陣参加生徒の感想文7)
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        人の強さ

        明治学院東村山高等学校3年 垣渕 美有


         ボランティアに参加したのは、とにかく被災地の方々と向き合いたいと思ったからである。テレビや新聞越しではなく、実際に被災地に赴き、話を聞いたり、復興の役に立ちたかったのである。しかし、実際に行って、自分が驕っていた、と思った。仙台駅から被災者支援センターまでの道のりはごく普通の街で、「こんなものなのか」というのが仙台に着いた時の第一印象だった。第二陣の子たちが笑いながら私たちの前に現れて、出発前となんの違いもないように感じたのだが、開会礼拝ではそれぞれが胸の内を熱く語ってくれた。正直、その想いが全く理解できなかった。とにかく、二陣の子たちが無事で良かった、そんな思いで私の三泊四日は始まった。
         最初に訪れた地震が起きたことを実感させる荒浜という場所は、仙台市からそんなに離れていないにも関わらず、街中とは全く異なる光景が広がっていた。TVではよく見る「被災地の映像」だが、実際に訪れると逃げ出したくなった。所々に生活の面影があり、つい数か月前まではここで暮らしている人たちがいた実際にいたのだ、と改めて実感した。そう思うと悲しかったし、怖くなった。だが、それ以上に寂しいと思った。
         二日目は、まず日和山に行った。高い位置から街中を見下ろして、漠然と「無い」と思った。その後、日和山から見た景色を同じ高さから見るとたくさんのモノがあった。瓦礫の山や建物の燃えた残骸、焼け焦げた何か、かつて家だったモノが散乱していた。まだまだ、問題は残っており、きれいになるのはずっと先なのだと感じた。



          日和山からワーク先の石巻市渡波に移動し、ある一人暮らしのおばあちゃんの家でワークをした。海水につかって塩っぽくなった箪笥や壁のきを拭いた。壁の上の方には浸水によってできた線あり境界線があったり、海の匂いがしたりと、津波の被害にあったことを物語っていた。私達がある意味、勝手に押しかけて、ボランティアをしているのに、いろいろと気にかけてくださったおばあちゃんの優しさや、地震のことを涙ぐみながら話してくださった姿が印象的だった。



         三日目は缶詰工場でワークを行った。工場の近くまでバスで行った。バスから降りた時、何とも言えない嫌な臭いがし、飛び交う蝿の多さに嫌悪感を抱いた。しかし、作業が終わるころには嫌な臭いも蝿も大して気にならなくなっていた。作業自体は難しいことでもなく、主に波に揉まれて汚れた缶詰をたわしで洗う、ということだけだった。作業中に社員の方が震災当時のことを話してくださった。少しでも、当時の状況を知ることのできる貴重な時間だった。缶詰を洗う作業を休憩をはさみながら朝から昼過ぎまでやっていた。ワーク終了後は、達成感があった。何なのかはわからないが、とにかく、やりきった感が自分の中にはあった。だが、実際には私のできたことなど些細なことで、まだまだ缶詰は山積みにされていた。そんな些細なことでも、それらの缶詰が東京で売られ、誰かが購入し、小さいが復興につながるのだと思うと、嬉しさが込みあげてくるのである。



         ボランティアに行く前と今とで、私の中でもっとも大きく変化したことは“言葉”の捉え方である。上手く表現することができないが、“ボランティア”という言葉が、厚かましく思うようになった。一方的で、被災者の意志は無いように感じるのである。他には、“被災地”や“被災者”という言葉にも抵抗を覚えた。たとえどんな状況になったとしても、その場所は住んでいる方にとってはかけがえのない故郷なのである。ボランティアに行き、自然の力の恐ろしさと人の持つ強さを知った。
         友達に話していてもうまく伝えられないもどかしさや、悔しさがあるが、それでも自分に伝えられる範囲で話していこうと思った。

        posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 08:32 | comments(0) | - | - | - |
        様々な思い(第3陣参加生徒の感想文6)
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          様々な思い

          明治学院東村山高等学校3年 神山彰宏

           

          私が今回のボランティアに参加させていただいた理由は、実際に被災地に行って、「自分には何か出来ることはないのか」と思ったからです。地震が起きて、テレビで人が津波によって流されている映像を見ていたら、「何かしら行動というものを起こしたい」と自然に思うようになり、またその被災地というものを、自分の目で見て生で感じたいと思ったからです。

          自分は第3陣として、7月27日〜7月30日まで、実際に被災地に行き、その27日〜30日までの、仙台市若林区荒浜という地域、石巻市渡波町という地域、東松島市奥松島という地域など、様々な場所の、その日の状況というものを自分の目で見て感じさせてもらい、テレビで見ていた時よりも、何十倍、何百倍、もう言葉には表せないほどの驚きがありました。

          特に印象に残っているのが日和山公園で、そこでは被災前の写真と、その時、自分が見た被災後の現実というものに、ギャップがありすぎて唖然としてしまい、何も言葉がでませんでした。



           ボランティアワークをさせていただいた感想は、2日目の畑に津波によって流されてきた海の砂を取り出す作業は、4時間くらいも時間をかけたのに、きれいになったのは、ほんの一部で、正直、達成感というものを得ることはあまりできなかったけれど、それが決して無力ではないと思えたことは本当によかったです。また、向こうの子どもたちと遊んだことで、少しでも繋がりというものが出来たということも、とてもよかったです。



           3日目の缶詰工場での缶詰の洗浄の作業やもう食べることのできない缶詰の処分の分別の作業は、精神的にとてもきついもので、正直、臭いやハエの多さに衝撃を受けました。しかし、それでも少し前は、もっと臭いもきつくて、ハエもさらに多かったと聞いたときは、津波の被害がどれだけすさまじいものであったかということが、脳裏に浮かんで少しこわかったです。ここでの1番良かったことは、洗浄した缶詰が、復興缶詰としてまた売られるということです。私はここに希望の光というものを大きく感じました。





          私がこの4日間で言われた1番印象に残っている言葉は、「君たちにとっては被災地かもしれないけど、それは同時にその人たちにとっての故郷でもあるんだよ」という言葉です。私はこれを聞いたとき、「被災地、被災地」と軽はずみに言っていた自分の心に、大きなものがのしかかってくるような気がしました。ここで私は言葉の重みというものを実感しました。

          私は実際に被災地に行かしていただき、「伝える」という立場になりました。「伝える」ということは、容易なことではないとわかっているけど、まず、私が思うことは、多くの人に、今の状況というのものを、実際に行って目で見て感じてもらいたいということです。復興には、どれだけの時間がかかるかはわからないけど、いち早い復興を願うしかありません。そのためには自分が出来ることを、これからも継続的に頑張っていこうと思います。そして再びあの地へ戻り、変化というものを目で見て感じていきたいです。

          posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 07:48 | comments(0) | - | - | - |
          これからも(第3陣参加生徒の感想文5)
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            これからも

                明治学院東村山高等学校3年 佐野和也


             震災から4ヶ月が経過し、テレビでの報道も少なくなっていく中で私自身も震災への意識が薄くなっていることに気がつきました。震災のことを忘れてはいけないと思う気持ちや、被災者の方々に少しでも力になりたいという想いからボランティアへ参加することを決意しました。

             私達は最初に荒浜地区に行きました。そこは津波によってほとんどの家が流され基礎の部分だけが残されていて、寂寥とした光景が広がっていました。また、その光景を見て津波が様々なものを奪っていったということが理解でき、被災地に来ている実感がわきました。

             2日目は石巻市に移動しました。瓦礫の撤去作業をする重機の音や、においがとても印象的でした。石巻市は市街地で被害も大きく、たくさんの命が奪われた場所であったため、街の空気に重みを感じました。その後、私たちは渡波町でワークを行いました。被災者支援センターエマオの皆さんと共同で作業を行い、人数も多かったにもかかわらず、畑を綺麗にするのに苦労しました。



             3日目は缶詰め工場での活動でした。処分が決まった缶詰めを廃虚する簡単な作業でしたが工場の中は悪臭と、大量のハエがいる中での作業だったので想像以上に大変な作業でした。2日間のワークを通して私たちのやっていることは非常に小さなことであると感じ「微力」という言葉の意味が理解できました。




             最終日は奥松島に行きました。目の前には美しい光景が広がっていましたが、真後ろには手の付けられていない悲惨な光景があり、そのギャップに唖然としました。閉会礼拝をしている最中に作業車が入ってきて、これから復興に向かっていくのだと思い希望を感じることが出来ました。

             4日間の活動をして思うことは、現地に直接行って被災状況を見てほしいという思いがあります。テレビや写真では伝わってこないものがたくさんあるからです。さらに、実際に行くことによって被災地に対する想いも変わると思うからです。また、ボランティアを1度で終わらせないということです。現地では子供達と一緒に遊ぶなど、様々な出会いがありました。被災者の方々は私たちに親切にしてくださり感謝の気持ちが今でも強くあります。この気持ちを表すには、これからも被災地を訪れることや、いつまでも寄り添い、繋がり続ける必要があると思います。

             私たちはボランティアに行き、「伝える」立場になりました。これは、行った人たちにしか出来ないことなので精一杯頑張りたいと思います。

             最後に、今回の活動を無事に終えられたのは、支援してくださった方々のお陰です。本当にありがとうございました。

            posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 12:55 | comments(0) | - | - | - |
            へりくだる心と感謝する心(第3陣リーダーの感想文)
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              へりくだる心と感謝する心

               

              明治学院東村山高校卒業生(第3陣リーダー) 福島 芳昭

               

               主の御名を賛美いたします。この度は明治学院東村山高校の教職員の皆様、生徒・リーダーの方々とボランティアに参加することができ、心より感謝しています。

               私は6月に母校である明治学院東村山高校にて教育実習を行い、これからも教育の現場に関わっていきたいと思っていました。教育実習最終日、ボランティア第1陣に参加した市川君が「午後からボランティアの報告会があるんです!ぜひ来てください!」と声をかけてくれ、報告会に参加しました。報告会では生徒からの被災地の説明、生徒たちの体験談など、生徒主体で行われました。生徒たちが被災地で感じたことを率直に語っている姿に心を動かされました。また教育実習最終日ということで、私が担当していた高3生の先生方にご挨拶をしていた時、佐藤先生よりボランティアのお誘いをいただき、神様が下さったこの機会に感謝し、参加させていただきました。

               私の場合、教育実習後再び先生・生徒の皆さんと物事に一緒に取り組むことができる、その喜びの方が強く、正直「ボランティア」に参加する、被災地で労することへの意識が弱かったと感じています。それに気付かされたのは、第3陣の開会礼拝と同時に行われた、第2陣の閉会礼拝でした。第2陣のみんなから第3陣へメッセージをもらいましたが、多くのことを体験した第2陣のみんなの伝える姿勢が、眼差しが、まだこれからボランティアを行う第3陣とは明らかに違っていました。第2陣のみんながボランティアを通して何を感じ、何をこれから伝えていきたいのか、熱く語ってくれました。みんなの本気さに、自分がこれから取り組もうとしていることへの意識の低さを感じるとともに、一気に気持ちが引き締まりました。そして第2陣の気持ちを胸に、ボランティア活動を行うことができました。



               私が強く印象に残っていることは、避難所となっている広渕小学校を訪れたときのことです。ご挨拶に上がらせていただいたのですが、そこは被災者の方々が住む家を失い、生活している場所。どのような生活をなさっているのか拝見したいと思う反面、そのような場所にお邪魔していいのだろうか、という思いがよぎりました。

               今まであまり疑問に思うことのなかった言葉、「ボランティア」。私は、ボランティアとは労働力を必要としている人・場所に出向き、社会奉仕活動を行う人、と思っていました。傲慢な言い方をすれば、被災地のために労しに来た人、になるでしょうか。しかし、そもそも被災地の方々はボランティアをどう受け止めているのか。住み慣れた土地が被災し、その復興のために被災地に足を踏み入れるボランティア。確かに復興のための労働力は必要ですが、今まで出来上がったコミュニティーの中に、ボランティアと言う異分子がぽっと入り込む。果たして被災地の方々はそれを望んでいるのだろうか。他人の家に土足で上がるような、失礼な行為なのではないか。ボランティアだからお手伝いに来ましたよ、という安易な気持ちで被災地に入ってはいけないと感じました。まず被災者の方々に、被災地で労することを認めてもらうこと、それがあって初めてボランティア活動ができるのではないでしょうか。まず、へりくだる心。そして、ボランティア活動を通して、いっときでもコミュニティーに加えていただけることへの感謝の心。その気持ちを持つことによって、被災地の方々と接する、触れ合うことができる。ボランティア活動を行う人には、必要なことだと感じました。へりくだる心と感謝する心を持ち続けたいと思います。

               広渕小学校の方々、被災地の方々は、我々を快く迎えてくださいました。そして我々に色々と心を配ってくださいました。このような心の触れ合いが、ボランティアの原動力になっているように感じます。私は今回のボランティアを通し、様々な思いやりの形があって、共に支えあって生きていると感じました。

               私も他のボランティアメンバーと同様、被災地を見て衝撃を受け、言葉を失いました。しかし、そこには希望があります。希望は失望に終わることはありません。この世に勝利された主に委ね、祈りを持って歩みたいと思います。



              posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 07:45 | comments(0) | - | - | - |
              その時感じたこと(第3陣参加生徒の感想文4)
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                その時感じたこと

                明治学院東村山高等学校3年 岡崎 翼


                 今回このボランティアに参加しようと思った理由は、震災があった後自分には何ができるかと思い、最初は募金や節電をしていました。しかし、そのような活動をしていたり、テレビで放送されていた被災地の光景を見ているうちに、現地でボランティアをしたいと思うようになりました。

                 ボランティアの初日、最初に第2陣と第3陣で閉会&開会礼拝をし、その時第2陣の人の熱い思いを聞きました。その後、荒浜地区に向かいました。向かっている途中バスの中で海岸から2km離れたところまで津波が押し寄せてきたと聞きとても驚き、また塩によって色が変わってしまっている木や、破損している家屋が目に飛び込んできました。海岸沿いに着き、基礎しか残っていない家や傾いている木を見て、衝撃を受けました。

                 2日目は実際にボランティアワークを行い、微力という言葉を痛感しました。このボランティアワークには、何人もの人が参加していて、1日中ワークに取り組んでいたのに、畑をきれいにするのが精一杯でした。復興としてみたら本当に微力だということが分かりました。しかし子どもたちと遊んだり話したりし、とても貴重な体験をすることができました。また、そこには思いやりや繋がりがあり、微力ではあるけれど無力ではないということを実感しました。




                 3日目は缶詰め工場でワークを行い、4日目は奥松島に行きました。缶詰め工場に到着して最初に感じたことは、ハエの多さと悪臭でした。作業している最中も常に身体にハエがついている状態で、強烈な臭いをマスク越しに感じました。作業は売り物になるものの泥落としと売り物にならないものの廃棄の分別作業を2つのグループに分かれ、流れ作業で行いました。流れ作業を行ったことで作業がはかどり、より多くの缶を分別することができました。そこで感じたことは、ボランティアをする上でチームワークが大切だと思いました。



                 4日目に奥松島で見た光景は4日間の中で自分にとって一番衝撃的でした。目の前に広がるのは穏やかな海。その後ろは瓦礫の山。このギャップはとても衝撃的でした。海の近くまで行き中をのぞいて見ると、エイらしき物が浮いていました。波に揺られて流れくるその物体を見てみると、正体は絨毯でした。後ろを振り返り、そこで生活していた人々を想像すると心が痛みました。



                 今自分が思うことは、今回のボランティアを始まりにするということです。自分が体験したことを多くの人に伝え、より多くの人が現地に行き、現地のこと知ってもらえるようにしたいです。自分もまた、ボランティアをしたときの現地しか知りません。あの場所に戻り、その時だけのボランティアにしないように活動を継続していきたいです。

                posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 09:16 | comments(0) | - | - | - |
                忘れない(第3陣参加生徒の感想文3)
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                  忘れない

                  明治学院東村山高校2年 藤田 観


                   無意識に被災地を自分のことのように感じていた。だから、他の人ためというより「行け」という直感が強かった。そもそもなぜ自分は東京にいて、なぜあれだけ気にしていたのに被災地にいないのかという考えがつもっていた。ただ被災地で少しでも「生きよう」と思った。誰かを助けられるとは思っていないので、それをしようとなると気が重かった。

                  1日目。被災者支援センターで第2陣と会って感想を聞いた。話すことは様々だったが、自分ははじめから打ちのめされないように身構えていた。仙台から荒浜に移動。始めに見えた景色は異様だった。灰色と化した土地には一面家々のコンクリの土台と砂。悲しいというより静かで心細い印象だった。

                  2日目。日和山から石巻市を初めて見た。重機が瓦礫の撤去する音が響き渡り、地表は黒ずみ悪臭があって、不穏な感じがした。自然災害というより悪意を持って破壊された空襲跡のようだった。家の前に置かれた供え物は子供のためのようで、胸を締め付けられる気がした。津波の到達地点や火災が発生した小学校の話を聞いた。「地獄」という言葉が思い浮かんだ。適切ではないかもしれないけれど、その光景を思い浮かべるとそう思われた。ボランティア先の祝田地区に着くとすぐさま作業を始めた。畑に津波でかぶった砂を集めた。見ただけでは分からないが砂の厚さと量がものすごい。現場はあまりに打ち解けていて、ほかのボランティアの人をそこの家の人かと間違えた。すぐ隣の家は大破していて津波の存在を強く感じさせた。いくつかの家は撤去するらしい。「被災地は動き変化し続けている」。近隣の方々は差し入れなどを下さり親戚として呼ばれたかのように思った。



                   3日目。石巻の缶詰め工場に向かった。2日目より臭いが強く、きつくはなかったが本能的に不安を感じた。作業内容は理解の遅い自分にも分りやすかった。生まれて初めてウジを見た。またハエの多さに、人はハエにも脅威を感じるのかと思った。前には
                  10倍以上いたらしい。「働いている」ような、工場の工員になったような気がした。工場は何メートルも浸水して壁が壊れていたが人の活力はあった。涌谷にもどり、津波に流されるとはどんな風なのか思い浮かべた。暗く怒濤のように流れる水の中に浮かぶ無数の人影としかイメージがつかないが、恐ろしい。



                  4日目。月浜海岸に向かった。耳鳴りするほど静かなところだった。4日間そうだったが閉会礼拝で心の代弁になるようなことは言えなかった。4日間を一言でまとめることも決意も言えなかった。被災地は故郷であり、安らぎの地であり、生きる場所であり、眠りに着く場所であり、地獄でもあるようで、一つのまとまった印象にならなかった。



                   4日間で何があったか。人に逢った。「ボランティア」とはあまり思わなかった。それが悔しく感じた。人の役に立っているという考えはどうしても浮かばなかった。1回会っただけなのに身内になったような気がして、自分がそこにいられたことが有難かった。ボランティアでなければできなかったつながりが出来た。また行くことが定まっている気さえする。「伝えようとしても伝わらない」。あの地域はそれぞれ違う固有の土地である。人が生きている。人が語って初めて何が起こったかがわかる。忘れることはできない。

                  posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 13:57 | comments(0) | - | - | - |
                  あの被災地にあったもの(第3陣参加生徒の感想文2)
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                    あの被災地にあったもの

                    明治学院東村山高校1年 福田浩也
                     

                    僕が今回ボランティアに参加した理由は、被災地の方々のために何かしたいと思っていたからです。テレビや新聞など様々なマスメディアから発信された写真や情報などを見て、「東京にいる自分でもできることは何かないのだろうか」と日々考えるようになりました。

                    そして、地震が発生してしばらくたったある日のニュースで「いろんな外国の国々のボランティア団体が被災地に入りました」とか「大学生のボランティア団体が被災地で活動しています」などのニュースがたくさん出ているのを見て、「これだ!」と思いました。そこで、僕は実際に被災地に行って何かをしようと思いました。

                    実際に被災地に行ったあの日、まず感じたことは「地震や津波が本当に発生し、被災地の人々の命を奪った」ということです。僕は被災地に行ったあの日まで自分の目で見ることはなかったので、テレビや新聞でしか見ることができませんでした。しかし、テレビや新聞で見ることができるものはたかが知れていました。実際に被災地に行って迫力の違いなど感じるものが全然違うことにびっくりしました。「実際に自分の目で見なければ分かるものも分からないな」と思いました。

                    ボランティアをしながら、被災地の人々と交流できるということは、僕にとって貴重な体験になりました。特に津波によって、家が流されたときの心情を話してくれたときには胸が痛みました。

                    そんな絶望の中、ひときわ輝いているものがありました。それは人々の「笑顔」です。地震や津波によって、何万人の人々の命が失われた、思い出のあの場所が流された、そんな中でも人々の「笑顔」は生きていました。僕は「こんな状況でよく笑えるな」と思いました。しかし、今考えたら本当は不安でいっぱいだったのかもしれません。その「笑顔」たちを僕は忘れられないでしょう。いや、僕としては絶対に忘れたくはありません。

                    今、ボランティアを終えて、あんなつらい仕事をしたのにもう一度ボランティアに行きたいと思っている自分がいます。帰ってきたときは、「行きたくない」の一点張りだったのに。それはこれから復興していく被災地を見守って行きたいという気持ちからなのでしょうか。

                    復興にはまだまだ時間がかかるでしょうが、将来には必ず復興を終えるときがやってくるはずです。それまでにもう一度足を運びボランティアをしようと思います。被災地のために何かしたいという気持ちがまだ残っているからです。そして復興を終えて、本当の姿に戻っていく東北の姿、そしてあの「笑顔」をもう一度見たいです。

                    posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 20:36 | comments(0) | - | - | - |
                    絶望ではない(第3陣参加リーダーの感想文)
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                      絶望ではない

                               東村山教会教会員・東京神学大学3年 馬場勇樹

                       

                       私は、神学生として、311以降の日本で何を語れば良いのか。また、将来牧師として、どんな言葉を語っていけば良いのか。特に被災地の隣人として、今語るべき言葉は何なのか。被災地の人に届けられる言葉があるとすれば、それは何なのか。被災地の人が、どうすれば「明日も生きていこう」と思えるのか―それは現地を知らずして、語っていくことはできないと思い参加しました。

                       初め、私は地震直後からニュースで流れる黒い津波の映像や、がれきの山と化してしまった街の映像を見て、被災地には「絶望」しかないと感じていました。そこには、希望が全くなくなってしまった人たちがいる。そのような人に果たして希望を与える事はできるのだろうか。「生きていこう」と思える言葉を語れるのか。このような事を考えていました。

                       つまり、この時点での、私の中にあってイメージは、「絶望しかない場所に希望の種を撒いていく」と言うようなものでした。そんなイメージで被災地の事を捉えていました。

                       そして、実際に仙台市若林区荒浜という、仙台駅からもあまり離れていない地区を視察した際には、私がボランティアに行く前から感じていた被災地に対するイメージがますます現実味を帯びていくような気がしました。そこは、津波がきて家の基礎のコンクリート以外何も残っていないような地区でした。かつて生活があった場所なのに、家や土地、車を含め財産を全て失ってしまった人がいる。実際にその絶望的な光景を目の当たりにし、ただただ言葉を失うしかありませんでした。

                       しかし、二日目から実際にボランティアのワークをして行くうちに、自分が抱いていたイメージに対して、違和感のようなものが生じてくることに気がつきました。

                       まず二日目は、津波をかぶった畑を覆っている海の砂を取り除くボランティアをしました。その時も最初は「先祖から代々受け継いできた土地が、このような状況になってしまって、さぞや無念だろうな」と感じていました。ですが、そこで私が実際に見たのは、その土地で生きている人々がとても明るく懸命に生きているという事だったのです。畑は砂に覆われて、畑というより学校のグラウンドのような状態になっています。そんな状態であるにも関わらず、そこで暮らしている人は、明るく懸命に生き、ボランティアに来た人間を気遣ってまでくれる。これは私が最初に抱いていたイメージとは、かけ離れた光景がそこにはありました。


                       三日目、ハエと魚の腐敗臭の中、水産工場でのボランティアでした。工場も津波でかなりのダメージを受け、2階の肩の辺りまで水が来ていたという地域でした。その中で廃棄処分になった缶詰の廃棄作業と、食べられる缶詰を洗う作業をしました。そこでも、私は懸命に明日へ向かって生きていこうとする人間の姿を見ました。廃棄処分となった缶詰はかなりの量ありました。せっかく作った商品を廃棄せねばならないと言うにも関わらず、それでも前を見て生きている人がそこにはいました。そこで見た光景も、やはり私が最初に感じていた事とは異なったものでした。


                       最初、私は、この被災地には絶望しかなく、そこには生きる希望を失った人がいる。このような先入観を勝手に抱いていました。しかし、実際にその地に行って、わずかな間でもその地にいる人と触れ合ってみて、そのような先入観が間違いだと気がつかされました。

                       確かに被害は甚大で、その光景だけを見れば、絶望的で人間の無力さをつくづく感じます。しかし、それでも人間は力強く生きていこうとするのです。そのような、人間の持っている逞しさ力強さを私は感じました。

                       そこで、私はこの人間が持っている、逞しさや力強さに懸けた言葉を語っていきたいです。つまり、人間だけでこの逞しさや力強さを持続する事は難しく、そこにキリストが共におられるという事を語っていきたいと感じました。そして、力強く「明日も生きていこう」と思えるような言葉を語っていく事ができたらと感じました。

                       最後に、ボランティアの最中でさえ、目の前でどんどん成長していった明治学院の高校生達からも、たくさんの事を学ばせてもらいました。その彼ら・彼女らに、ありがとうございましたと言わせてください。また、全くの部外者である私をこのチームに参加させてくださった明治学院東村山高校の皆様には、感謝を申し上げたいです。

                       本当にありがとうございました。


                      posted by: とび | 第3陣(2011年7月) | 11:01 | comments(0) | - | - | - |