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過去形じゃない(第20陣参加生徒の感想文7)
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    過去形じゃない
    明治学院東村山高校3年 堀口歩美


     
     今回私がボランティアに参加した理由は、被災地の事を最近ニュース等で報道されなくなっていて気になっていたからです。又、被災された方々は今どうしているだろうと思った事と、被災された方々に寄り添って東日本大震災を考えていきたいと思ったからです。



     私は、実際被災地に行ってみて、いろんな事を見て聞いて学びました。一日目にフィールドワークで行った旧野蒜小学校では、避難していた体育館に津波が襲い、犠牲になった方がいることを知りました。又、高校生による復興と防災祈りと学びの会では、東北学院榴ヶ岡高校2年生の話しを聞きました。彼の子の家は全壊して、家族ともなかなか会うことが出来なかったと言っていました。それでも他の人に比べたら被害は少なかったほうだと言っていて、「自分が震災を語っていいのかわからないが、この話をするのが自分の役目だと思う」と言っていました。もし自分がこの男の子の立場だったらこんな事言えないだろうし、自分の帰る家がないってどれだけ辛いことだろう、と思いました。



     二日目には水押球場仮設住宅に行き、子どもたちと遊びました。流しうーめんやスーパーボールすくい等もして、自分も楽しかったです。皆とても元気で、自分も元気になりました。



     この後に、フィールドワークに行きました。その時に行った石巻市立大川小学校と長面地区はとても印象に残っています。大川小学校は震災前はとても広くて綺麗な校舎でした。しかし、現在の小学校の教室には机も何もなく、地面には上履きや貝殻やカセットテープ、ガラスの破片までもが落ちていました。屋根の上についているスピーカーには草が生えていて、コンクリートは削られていて、厚い柱が倒れたり曲がったりしていました。この場所に高い津波がおそい、たくさんの物が流され、人も流されていたと思うと、とても恐怖を感じました。そして長面地区に行った時、まだ水が引いていないという事に本当に驚きました。行方不明者のご遺体が見つかるとご遺族は「やっと見つかった」と喜ぶのだという話しを聞いて衝撃を受け、自然と涙が出てきました。



     三日目には、チャチャワールド石越という所に行って子どもたちと心の底から楽しく遊びました。一緒に遊んでいた子がぐっちーと私の名前を呼んで手を繋いでくれた事は本当に本当に嬉しかったです。そして、その子が帰りのバスの中で津波の話しをしてくれました。その話が今でも忘れられません。



     四日目は、関ノ入仮設住宅でのお茶っこに参加した後、女川に行きました。まだ工事中の所が多かったです。地域医療センターで震災当時の写真を見て、そこでも衝撃を受けました。銀行員の方々は屋上に逃げたけど津波で流されてしまったという記事を読み、津波の恐ろしさを再確認しました。



     私は、今回被災地に行ってみて、東日本大震災が被災された方々にとってどれだけ現在進行形の事であるかを知りました。そして、私達はどれだけ過去形にしてしまっていたのかも。津波の恐ろしさは忘れてはならないと思います。また、いつ襲ってくるかわからない津波に対して瞬時に対応して高い所に急ぐという事を私たちは心に刻んで生きていかなければならないと思いました。

    posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    11月12日、中学礼拝でボランティア報告をしました。
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      東日本大震災から4年8ヶ月。あの日の事を忘れずに心に刻み続けたいと思います。11月12日の中学礼拝で第22陣に参加した黒崎さんと高橋さんにボランティア報告をしてもらいました。11月28日の高校礼拝でも活動報告をする予定です。



      黒崎:第22陣は8月3日から6日まで、主に宮城県仙台市若林区で活動しました。主な活動内容は、「ささっこクラブ」という子ども教育支援と、仮設住宅での炊き出し、仙台平和七夕のお手伝いです。4日間、福島の若松第一高校のボランティア・チームの皆さんと一緒に活動しました。



      黒崎:「ささっこクラブ」では、子どもたちの夏休みの宿題を手伝ったり、流しそうめんをしたりしました。また、ヨーヨー釣りやスーパーボールすくいや水遊びををして遊びました。笹屋敷の子ども達は、私達に輝く笑顔を見せてくれました。震災当時は笑顔も消えていたそうですが、年月を経て、元の元気な子ども達に戻ったそうです。私達ボランティアが、子ども達のためにできることは、共に笑い、楽しい思い出を沢山作ってあげることだと思いました。



      高橋:私たちは仮設住宅でも、流しそうめんをしました。仮設住宅は壁が薄く、暮らしづらそうだと思いました。生活のリズムが違う人たちが仮設住宅に集まって住むことでストレスがたまってしまうのではと思いました。暮らしやすくはなく不便です。仮設住宅には色々な問題がある事を実感しました。仮設住宅のお茶っこに参加した時に、Tさんからお話しを聞きました。Tさんは愛する人を思いもよらぬ形で亡くされました。心の準備がない上で大切な人を亡くすのは辛かったと思います。Tさんのお話しを聞いて、心が痛みました。



      黒崎:Tさんは津波で全てを失ってしまったそうですが、辛い顔一つ見せず、笑顔で、震災の話をしてくれました。仙台七夕祭りで、手作り布小物を販売するというのでお手伝いをさせて頂きました。声が枯れる程呼び込みをして、たくさん売れて品物が少なくなった時は、私も本当に嬉しく、Tさんのような笑顔になることができました。Tさんからパワーをもらった気がします。



      高橋:私たちは仙台平和七夕のお手伝いもしました。仙台七夕祭りがはじまる8月6日は、広島に原爆が投下された日です。核兵器の廃絶と平和を願って、全国から送られた100万羽以上の折り鶴の中から、18万羽を使って吹き流しを飾りました。今年は戦後70年と重なり、いろんなことを考えさせられました。戦争をしてはいけない。核を持ってはいけない。ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキを忘れてはいけないと思います。



      高橋:折り鶴のレイ配りにも参加しました。今年の修養会で中2の皆さんが作ったレイも私たちが配りました。配ってみると、たくさんの人が笑顔で受け取ってくれて、とても嬉しかったです。全国から一人一人が思いを込めて作った折り鶴がレイや吹き流しになる。作った人の思いが、もらった人の心に届いてほしいと思います。



      高橋:私は中学生の時からこの活動に参加したいと考えていました。理由はいくつかあります。まず1つめは、礼拝で佐藤先生の説教を聞いて、高校生になったら自分も活動に参加したいと思ったからです。2つ目は、中学2年生の修養会の時に、ボランティアで使用する折り鶴とレイを作成しました。私は不器用であまり上手くつくることができませんでした。ですが文化祭で私たちが作った折り鶴やレイが仙台七夕祭りで使われている写真を見ました。写真ではとても綺麗に飾られていて、とても感動したのを覚えています。そしてレイを受け取っている人が笑顔だったのも印象的でした。実際に私もその場で体験したいと思いました。このような経緯から、私は自分が関わった事のある仙台平和七夕に参加したいと思い、22陣に申し込みました。



      高橋:4日間を通して、たくさんの事を得ました。ボランティアに行く前に脳裏にあった言葉「現地に行ってみないとわからない」―まさにその言葉通りでした。テレビや新聞では伝わっていない事がたくさんあります。私達ができる事は微力です。現地に行って被災地を見るという事が、まず自分でできる最初の一歩だと思います。被災地の復興はまだ終わっていません。この4日間で学んだことを自分から伝えられると良いと思います。



      黒崎:私が今回のボランティアを志望した理由は、小学校に入学するまでの4年間を過ごした仙台に行き、少しでも被災地や被災者の力になりたいと思ったからです。東日本大震災が起こった時、小学5年生だった私は、テレビで津波の映像を見て、かつて住んでいた所に起きていることだとはとても信じられず、ただただ恐ろしく、友達は無事だろうかと不安な気持ちで一杯になりました。母が仙台の友人に連絡をとると、「ライフラインが止まりお風呂も入れない。食料品も不足していて、お米も底をつきそう」とのことでした。「それでも、命が助かったことを感謝しなくてはいけない」と言っていたそうです。母はお米や食料品を仙台に送ったりしていましたが、子どもの私には、何をすることもできないと感じていました。明治学院東村山に入学し、東北ボランティアがあることを知った私は、被災地の現状を自分の目で確かめる機会を得ました。震災から4年以上が経ち、テレビや新聞では復興が進んでいる様子が伝えられていますが、実際はどうなのか、映像に映らない部分をしっかり見てこようと思い志望しました。そして、参加して感じたことは、マスメディアの情報が全てではないということです。



      黒崎:家族で海水浴に訪れていた楽しい思い出の地・荒浜は、防風林が倒れており、辺りは一面草だらけの姿に変貌していました。家はぽつんぽつんとしかありません。海水浴シーズンには、自宅の庭を駐車場やシャワーとして貸していた家が多く、私も利用したことがあったのですが、その家の人達の安否を思うと悲しみがこみ上げてきました。
       大川小学校を案内してくれた方が「ここで起きたことは、ここにいた人にしかわからない。」とおっしゃっていました。一度や二度、被災地に行っただけで、そこにいた人達の気持ちがわかるわけがないということです。たった一度のボランティアで全てをわかった気にならず、何度も被災地に足を運んで、自分の目で見ることが大切であると感じました。




      黒崎:夜のシェアリングの時に聞いた、「『またね』を守れる大人になってほしい」という佐藤先生の言葉がとても心に残っています。ボランティアの人が、別れ際に言う「またね」という言葉を、子ども達は多分信じていないだろうということでした。実際に、一度きりで来なくなるボランティアが多いからだそうです。私は「またね」の約束を守れる大人になりたいと思います。
       私は、今回のボランティアで、復興にはまだまだ時間がかかるだろうと実感しました。「ボランティアは微力だけれど、無力ではない」という言葉を心に留め、自分にできることを続けていこうと思います。そして「またね」の約束をした子ども達と再会を果たしたいです。




      高橋:私たちはこれからも活動を継続したいと思っています。今年の冬には東北だけでなく、茨城県常総市にもボランティアに行く予定です。皆さんも高校生になったらぜひ明学東村山有志ボランティア・チームに参加して下さい!

      高橋&黒崎:以上で明治学院東村山高校有志ボランティア・チーム第22陣の活動報告を終わります。ありがとうございました!


      posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      高3保護者会でボランティア報告をしました。
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        10月24日、高3の保護者会全体会でボランティア報告と支援の呼びかけをさせていただきました。第20陣に参加した阿部彩香さんと栗山万里奈さんに発表してもらいました。11月3日のヘボン祭でもボランティア報告会を開きますので、皆さんぜひおいでください!



        栗山:明治学院東村山高校では2011年5月から継続して東北にボランティアを送ってきました。今年の夏も第20陣と21陣、23陣が被災地で活動しました。今日はその報告と、支援のお願いをさせていただきます。
         私たちが参加した第20陣は7月22日から25日まで、宮城県石巻市で活動しました。今回のボランティア活動は、子ども達との触れ合いが中心でした。7月22日には石巻市内の水押球場仮設住宅に行って、子どもたちとヨーヨー釣りをしたり、スーパーボールすくいをしたり、水遊びをしたり、流しそうめんをしたり、ドッチボールや氷鬼をして遊びました。子供たちは震災を体験したと感じさせないほど本当に元気で、人懐っこく、初めて会うのにも関わらずよく話しかけてくれる優しい子ばかりでした。とても楽しい時間を過ごすことができ、私の方が楽しんだのではないかと思うほどです。子供たちにとって、いい夏休みの思い出になってくれたらいいと思います。



        阿部:7月23日の「いしのまきっこ広場」では、子どもたちと遊園地に行きました。どんぐり山のアスレチックで冒険をしたあとは、マッハコースターに乗って山を駆け下りたり、色々な自転車やボートに乗ったり、お化け屋敷に行ったりしました。最初こそ人見知りであまり話さなかった子供たちも次第に打ち解け、一緒に楽しい時間を過ごすことができました。



        栗山:最終日も仮設住宅に行きました。仮設住宅周辺の草むしりをした後、集会所でのお茶会に参加しました。ボランティア活動の合い間にはフィールドワークに行きました。私が被災地を訪れたのは初めてだったのですが、建物が少なく、更地となった光景を見て言葉を失ってしまいました。何回もメディアで被災地の様子は見ているはずなのに、実際にその土地に立ちこの目で見てみると、伝わってくるものが違いました。かつてはここにたくさんの家があり、たくさんの人々が暮らしていたはずなのに、今では何も無く、ただ草が生い茂るだけの土地になっているのです。津波から逃げるために人々が避難した場所へも行きました。そこは見晴らしが良く、とても高い場所です。私も実際にそこに立ってみて、まさかこんな所にまで津波がくるとは思いませんでした。当時そこに避難していた人々も、ここにいれば安心と思っていたかもしれません。しかし、津波は人々が予想していた高さを大きく上回り、その高台にいた人でさえ流されてしまったのです。規格外の津波の大きさに恐怖を感じ、衝撃を受けました。



        阿部:私が特に印象に残ったのは、石巻市立大川小学校です。校舎のコンクリートの一部は壊れて、金属はぐにゃぐにゃに曲がっていました。私は津波が来ても、近くのものに捕まったりしたら何とか助かるかもしれないという安易な考えを持っていたけれど、そういうことは奇跡でしかなく、実際は持てないくらい重いコンクリートや金属がとてつもない速さで流れていて、津波に飲み込まれたらほとんど助かる見込みはないということを知りました。津波到達地点は大川小学校より遥かに高く、その場所まで全て黒い波が渦巻く海のようになったことを考えると、言葉を失いました。



        栗山:7月22日は「高校生による復興と防災 祈りの会」に参加しました。東北学院榴ヶ岡岡高校、宮城学院高校、そして神戸の啓明学院高校の高校生たちと一緒に、各校の活動報告や、震災当時の体験談などを聞き、貴重な時間を過ごすことが出来ました。



        栗山:今回のボランティアを通して、今まで私の中で東日本大震災は過去のものとなっていたことに気付かされました。しかし、実際にこうして被災地を訪れてみると、震災は今もなお続いているのだと分かりました。全てが復興しているわけではなく、建物が破壊されたままであったり、未だに行方不明の家族が見つかっていなかったりと、震災から4年経った今でも悲しんでいる人々がいるということを、心に留めておかなければなりません。この震災で起こった悲惨な出来事を何年経っても忘れることがないように、たくさんの人に伝えることが大切だと思います。



        阿部:私が明治学院のボランティアに参加したいと思った理由は、実際に自分の目で被災地を見てみたかったということと、被災地の人の役に立つことをしたかったからです。私はこのボランティアを通して、この震災は千年に1回のものだけれど、私達の想像以上に高く遠くまで津波は来るので、この震災を記憶し、未来の人のために語り継いでいかないといけないと思いました。実際に被災していない私達が被災者の気持ちを理解することは出来ないけれど、震災について忘れないでいたいと思います。そして、先生が言っていた「ボランティアは微力だけど、無力ではない」という言葉を信じて、これからも様々なボランティア活動に参加していきたいと思います。



        阿部:今年の冬休みには第23陣を派遣することを計画しています。私たちは有志の団体のため、学校やPTAや同窓会からの経済的支援を受けていません。いくつかのキリスト教団体から支援金をいただいている他は、ボランティア参加費と、皆様からのカンパで運営しています。今日もチャペルの外でカンパを受け付けています。カンパして下さった方には夏の活動報告書を進呈いたします。活動を継続してゆくために。ぜひ私たちへの活動へのご理解とご支援をよろしくお願いいたします!



        報告の後、支援カンパを募りました。たくさんの保護者の方々が協力して下さり、35660円が集まりました。感謝して報告いたします。ありがとうございました!


         
        posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 19:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        高校礼拝でボランティア報告をしました。
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          2015年9月26日、明治学院東村山高校の礼拝でボランティア報告をしました。
          第20陣に参加した高3の吉原奈佑さんと五島彩月さんに発表をしてもらいました。
          2人には11月3日のヘボン祭ボランティア報告会でも発表してもらう予定です。



          吉原:第20陣は7月22日から25日まで、宮城県石巻市で活動しました。今回のボランティア活動は、子ども達との触れ合いが中心でした。7月22日には石巻市内の水押球場仮設住宅に行って、子どもたちとヨーヨー釣りをしたり、スーパーボールすくいをしたり、水遊びをしたり、流しそうめんをしたり、ドッチボールや氷鬼をして遊びました。私は初めて仮設住宅を訪問しました。そこは小さな音ですら騒音と言われてしまうようなところでした。遊べる環境が限られているため、発散できず暴力的になってしまった子もいると聞きました。仮設住宅を出るために政府が立てた復興計画は、とても当てにはなりません。それゆえ、未来が見えないことへの不安を抱きながら暮らしている人も多くいます。しかし、仮設住宅で暮らす子どもは本当に無邪気で元気いっぱいの小学生、幼稚園児でした。みんな水遊びや流しそうめんを本当に楽しそうにやってくれて、わたし自身もとても楽しかったです。



          五島:7月23日の「いしのまきっこ広場」では、子どもたちと遊園地に行きました。どんぐり山のアスレチックで冒険をしたあとは、マッハコースターに乗って山を駆け下りたり、色々な自転車やボートに乗ったり、お化け屋敷に行ったりしました。最初こそ人見知りであまり話さなかった子どもたちも次第に打ち解け、一緒に楽しい時間を過ごすことができました。私は接する前は子供たちに対して「被災地の子ども」という先入観を持っていました。しかし子どもたちの笑顔を見ているうちにそのような先入観はなくなり、ごく普通の小学生に感じられるようになりました。その一方でこのようなごく普通であるはずの子どもたちが「被災地の子ども」となり苦しんでいるのだという現実も理解しました。



          吉原:最終日も仮設住宅に行きました。仮設住宅周辺の草むしりをした後、集会所でのお茶会に参加しました。ボランティア活動の合い間にはフィールドワークに行きました。一日目の「がんばろう石巻」看板のまわりは見渡す限り草原でした。そこに置いてあったノートには、日本に限らず世界からその土地を訪れた人からのメッセージが書いてありました。その中には、同じく被災した人のものもありました。それを読むだけでも胸が熱くなりました。また、東松島の大曲浜や野蒜や宮戸島などにも行きました。東名(とうな)駅があった場所は跡形も無くなっていました。橋が流されたり、橋に船が突っ込んだため、孤立してしまった地域もあったそうです。取り壊さずそのままにしてある家をみると、壁のない家の中には生活感あふれるものが残っていて、津波の衝撃の大きさを感じました。



          五島:2日目は、震災当時はよく報道されていた大川小学校を訪問しました。マスコミの報道によると大川小学校では山の上に避難しなかったことにより多くの人が津波に飲まれ、命を落としたそうです。そのため私はただ漠然と山の上まで逃げればよかったのにと思っていました。しかし現地に赴き津波が到達した高さが記された看板を見上げた時、初めて津波の脅威を知りました。度重なる余震による建物の崩壊が相次いで起こっている中で、冷静に津波の到達予定時刻や高さを見越して避難できるのでしょうか。そういった事実は実際に現地に行って見聞きしない限り、具体的にイメージし備えることは難しいと思いました。



          吉原:7月22日は「高校生による復興と防災 祈りの会」に参加しました。東北学院榴ヶ岡高校、宮城学院高校、そして神戸の啓明学院高校の高校生たちが、震災当時のことや伝えることの大切さを真剣に話してくれました。その熱量は本当に強くて、私と同い年の子がこんなに真剣に考えているんだと圧倒させられました。東北学院榴ヶ岡高校の堺さんは、言葉に詰まりながら、小学校の体育館で津波に流されそうになったという友達の話しをしてくれました。友達に手を離されていたら津波に流されていたという話しを聞いたときは、本当に衝撃的でした。



          吉原:四日間宮城県にいて、私の中の東日本大震災のイメージがガラリと変わりました。
          まず風景やいまの環境は、報道が少なくなったのもあってか、私がイメージしていた東北と全く違っていました。いまは壊れた家や瓦礫は撤去され、雑草が生い茂っている土地が多いこと。4年経っても、海の水が引いておらず、捜索どころか足を踏み入れることもできない土地がまだまだあること。仮設住宅の狭さ、いつ仮設をでれるのか何も見通しが経っていないことなどです。これは実際に来て自分の目で見なければ分からなかったことです。
          実際に訪れて見なければわからないことがたくさんありました。実際に現地に行って現地の方からお話を聞いて初めて分かったことがたくさんありました。これからも宮城に行き続けたいと思っています。未曾有の災害でも、時間の経過と共に人の記憶は風化する。それを少しでも阻止して同じ悲劇を繰り返さないためにも、伝えたい。そう強く思いました。



          五島:私がこの東北ボランティアに参加しようと決意したきっかけは、昨年の夏に東北ボランティアに参加した友人の言葉でした。その友人は「実際に見てみないとわからない」と言っていました。その言葉は幼いころから祖父のボランティアをする姿を見ていた私の心に響きました。祖父は広島に住んでいて、広島にかかわる様々なボランティア活動を長年行っていました。そしてそのボランティアの様子を祖父から聞き、且つ活動している姿を見ることで、いつしか私も祖父が得ているような経験をしたいと考えるようになりました。そんな私にとって友人の「百聞は一見に如かず」という意の発言はボランティア参加へのきっかけになりました。
          今回のこのような経験を通じて私がこれからできることは「最善をつくすこと」だと思いました。現地を案内してくださった末永さんは「ボランティアで今自分がしているのが正しいのかはわからないし、誰にも正解はわからない」とおっしゃっていました。時にボランティアは偽善だといわれることもある。確かにそのような一面もあるかもしれないが、大切なことはその人ができる最善を尽くすことだ。私も今までは行動の基準としてそれが正しいか、間違っているかを基に判断し、行動してきましたが、これからは正解を求めるのではなく、自分にとっての最善を尽くすようにしようと思いました。そして私が今できる最善のことは継続してボランティアに行くこと、周囲の人に現状を伝えていくことです。様々な事情で被災地に行くことが難しい人もいます。そのため私がその人々の目となり耳となって代わりに被災地の現状を伝えていきたいです。そして、私が昨年、東北ボランティアにいった友人の言葉がきっかけでこのボランティアに参加したように、私のこの言葉が誰かのきっかけになればと心から思います。



          五島&吉原:以上で明学東村山有志ボランティア・チーム第20陣の報告を終わります。ありがとうございました!
          posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 14:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          最善を尽くすこと(第20陣参加生徒の感想文6)
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            最善を尽くすこと
            明治学院東村山高校3年 五島彩月

             
             私がこの東北ボランティアに参加しようと決意したきっかけは、昨年の夏に東北ボランティアに参加した友人の言葉だ。その友人は「実際に見てみないとわからない」と言っていた。その言葉は幼いころから祖父のボランティアをする姿を見ていた私の心に響いた。祖父は広島に住んでいて、広島にかかわる様々なボランティア活動を長年行っていた。そしてそのボランティアの様子を祖父から聞き、且つ活動している姿を見ることで、いつしか私も祖父が得ているような経験をしたいと考えるようになった。そんな私にとって友人の「百聞は一見に如かず」という意の発言はボランティア参加へのきっかけとなった。


             
             実際に東松島市を訪問した際、初めて自分の目で東日本大震災のつめ跡を見ることとなった。東松島はいまだに復興しておらず、テレビで見るようなさら地が広がっていた。しかし一軒だけ残っていた家があった。その家の中には布団や服がそのまま残っており、その場所に私たちと同じような人々が同じように生活していたのだという事実を目の当たりにした。



             
             二日目・三日目には被災地の子どもたちと接する機会があった。最初こそ人見知りであまり話さなかった子どもたちも次第に打ち解け、一緒に楽しい時間を過ごすことができた。私は接する前は子どもたちに対して「被災地の子ども」という先入観を持っていた。しかし子どもたちの笑顔を見ているうちにそのような先入観はなくなり、ごく普通の小学生に感じられるようになった。その一方でこのようなごく普通であるはずの子どもたちが「被災地の子ども」となり苦しんでいるのだという現実も理解した。




             
             また、震災直後によく報道されていた大川小学校も今回訪問した。マスコミの報道によると、大川小学校では山の上に避難しなかったことにより多くの人が津波に飲まれ、命を落としたそうだ。そのため私はただ漠然と「山の上まで逃げればよかったのに」と思っていた。しかし現地に赴き津波が到達した高さが記された看板を見上げた時、初めて津波の脅威を知った。度重なる余震による建物の崩壊が相次いで起こっている中で、冷静に津波の到達予定時刻や高さを見越して避難できるだろうか。そういった事は実際に現地に行って見聞きしない限り具体的にイメージし備えることは難しいと思った。



             
             今回のこのような経験を通じて私がこれからできることは「最善を尽くすこと」だと思った。これは現実での経験に加え、現地を案内してくださった末永さんの言葉からも考えるようになった。末永さんは「今自分がしているボランティアが正しいのかはわからないし、誰にも正解はわからない」とおっしゃっていた。時にボランティアは偽善だといわれることもある。確かにそのような一面もあるかもしれないが、大切なことはその人ができる最善を尽くすことだ。私も今までは行動の基準としてそれが正しいか、間違っているかを基に判断し、行動してきたが、これからは正解を求めるのではなく自分にとっての最善を尽くすようにしようと思った。



             
             そして私が今できる最善のことは、継続してボランティアに行くこと、周囲の人に現状を伝えていくことだ。様々な事情で被災地に行くことが難しい人もいる。そのため私がその人々の目となり耳となって代わりに被災地の現状を伝えていきたい。そして、私が昨年、東北ボランティアにいった友人の言葉がきっかけでこのボランティアに参加したように、私のこの言葉が誰かのきっかけになればと心から思う。



             
            posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            行ってみなければわからなかったこと(第20陣参加生徒の感想文5)
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              行ってみなければわからなかったこと
              明治学院東村山高校3年 吉原奈佑



               四日間宮城県にいて、私の中の東日本大震災のイメージがガラリと変わりました。
               まず風景やいまの環境は、報道が少なくなったのもあってか、私がイメージしていた東北と全く違っていました。いまは壊れた家や瓦礫は撤去され、雑草が生い茂っている土地が多いこと。4年経っても、海の水が引いておらず、捜索どころか足を踏み入れることもできない土地がまだまだあること。仮設住宅の狭さ、いつ仮設をでれるのか何も見通しが経っていないことなどです。これは実際に来て自分の目で見なければ分からなかったことです。




               フィールドワークでは、様々な場所に連れていっていただきました。一日目の「がんばろう石巻」看板のまわりは見渡す限り草原でした。そこに置いてあったノートには、日本に限らず世界からその土地を訪れた人からのメッセージが書いてありました。その中には、同じく被災した人のものもありました。それを読むだけでも胸が熱くなりました。



               また、東松島の大曲浜や野蒜や宮戸島などにも行きました。東名駅があった場所は跡形も無くなっていました。橋が流されたり、橋に船が突っ込んだため、孤立してしまった地域もあったそうです。取り壊さずそのままにしてある家をみると、壁のない家の中には生活感あふれるものが残っていて、津波の衝撃の大きさを感じました。津波の恐ろしさを後世に伝えるために作られた「津波の教え石」や津波浸水域を示す看板を見ていくと、波の到達時刻や高さはそれぞれでした。



               仙台で開かれた「高校生による復興と防災 祈りと学びの会」では、宮城・神戸・東京の子達が震災当時のことや伝えることの大切さを真剣に話してくれました。その熱量は本当に強くて、私と同い年の子がこんなに真剣に考えているんだと圧倒させられました。東北学院榴ヶ岡高校の男の子が言葉に詰まりながらも話してくれた、小学校の体育館で津波に流されそうになったという友達の話。友達に手を離されていたら津波に流されていたという話しを聞いたときは、本当に衝撃的でした。



               私は初めて仮設住宅を訪問しました。そこは小さな音ですら騒音と言われてしまうようなところでした。遊べる環境が限られているため、発散できず暴力的になってしまった子もいると聞きました。仮設住宅を出るために政府が立てた復興計画は、とても当てにはなりません。それゆえ、未来が見えないことへの不安を抱きながら暮らしている人も多くいます。



               しかし、仮設住宅で暮らす子どもは本当に無邪気で元気いっぱいの小学生、幼稚園生でした。みんな水遊びや流しそうめんを本当に楽しそうにやってくれて、わたし自身もとても楽しかったです。



               仮設住宅で子ども達と遊んだ後は、大川小学校とその周辺を見に行きました。多くの児童、近所の方が避難し、亡くなった場所です。当時、「なぜ周りに山があるのに避難させなかったんだ」と多くの報道がありましたが、実際に行ってみると、足場も悪く、あの日は雪も降っていて、あんな高さをお年寄りや小さい子どもを連れて逃げるなんて不可能だと思いました。



               実際に訪れて見なければわからないことがたくさんありました。実際に現地に行って現地の方からお話を聞いて初めて分かったことがたくさんありました。これからも宮城に行き続けたいと思っています。未曾有の災害でも、時間の経過と共に人の記憶は風化する。それを少しでも阻止して同じ悲劇を繰り返さないためにも、伝えたい。そう強く思いました。


              posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              中学礼拝でボランティア報告をしました。
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                2015年9月7日、明治学院中学校の礼拝でボランティア報告をしました。
                第20陣に参加した高3の市川紫織さんと村松有紗さんに発表をしてもらいました。



                村松:第20陣は7月22日から25日まで、宮城県石巻市で活動しました。今回のボランティア活動は、子ども達との触れ合いが中心でした。7月22日には石巻市内の水押球場仮設住宅に行って、子どもたちとヨーヨー釣りをしたり、スーパーボールすくいをしたり、水遊びをしたり、流しそうめんをしたり、ドッチボールや氷鬼をして遊びました。子どもたちが笑顔で走り回っていたり、楽しそうに流し素麺をしたりしている時間は、ここが実際に被災地であることや、子どもたちが被災者であることを忘れるほどでした。しかし、仮設住宅の周りには野球の得点掲示板や観客席があり、グラウンドはアスファルトに変えられ、そこに子どもたちは住んでいるのです。子どもたちと遊んでいるこの場所が埋め立てられた野球場だったことを実感させられた時、とてもつらいきもちになりました。



                市川:7月23日の「いしのまきっこ広場」では、子どもたちと遊園地に行きました。どんぐり山のアスレチックで冒険をしたあとは、マッハコースターに乗って山を駆け下りたり、色々な自転車やボートに乗ったり、お化け屋敷に行ったりしました。子どもたちは遊んでいる時は皆元気一杯で一緒に楽しい時間を過ごす事が出来ました。でも、この子達は地震と津波という辛い経験をしていて、特に仮設住宅に住んでいる子は今でも苦しい生活をしていたりするので、これかららそういった子ども達の心のケアと言う意味でのボランティア活動をしていくべきだと思いました。



                村松:最終日も仮設住宅に行きました。仮設住宅周辺の草むしりをした後、集会所でのお茶会に参加しました。ボランティア活動の合い間にはフィールドワークに行きました。ボランティア初日のフイールドワークで私がみた景色は、一生忘れることのできないぐらいの衝撃がありました。それはなにもない、ただ草が生えていて、大きな空が広がっている広い大地でした。風のふく音しか聞こえない、あの大きな更地に立っていた私は自然に胸が熱くなりました。ここに町があって人々が生活をしていたことは全く想像することができなかったし、ここに次の世代が住むことも想像できませんでした。そして私は四年たった被災地はここまでしか復興していないのかと思ってしまいました。1ヶ月前まで津波と地盤沈下で海水が引かなかった地域では、行方不明者の捜索がはじまったばかりでした。



                市川:4日間様々な場所にフィールドワークにいきましたが、私が一番衝撃を受けたのは大川小学校とその周辺です。テレビの報道などで有名になった大川小学校ですが、実際に見てみるととても言葉では言い表せない様な状態でした。そして、ここまで津波が来たという場所は辺り一面が見渡せる程高い場所で、津波の恐ろしさを思い知りました。



                市川:7月22日は「高校生による復興と防災 祈りの会」に参加しました。東北学院榴ヶ岡高校、宮城学院高校、そして神戸の啓明学院高校の高校生たちと交流することができました。一番心に残ったのは、石巻で被災した堺理久さんのプレゼンテーションでした。その言葉にはとても重いものがあって、理久さん自身もつらい思いをされたのに、自分よりも辛い思いをした人がいる、自分はこの経験を伝えていくことが責務だとか語っていました。そして、震災に対する思いに温度差があり、できるだけ被害を受けた人の話しに耳を傾けてほしいともおっしゃっていて、心に深く残りました。



                村松:私がこのボランティアに参加した理由は、このボランティア・チームが単発的なものでなく、金銭的な支援でもなくて、東日本大震災から四年と四ヶ月の間被災者の方たちと触れあい、一緒に遊んだり、一緒にご飯を食べたりして活動を続けていたからです。私がやりたかったボランティアは物質的なものだけでなく、精神的なものも含めたものだったので、私はこのボランティアへの参加を決意しました。



                村松:ここまでの報告を聞いて、「まだここまでしか復興していないのか」と思ったかも知れませんが、東北はやっとここまで復興することができているのだと私は思いました。すべてのものが失われたあの日から、瓦礫の撤去や仮設住宅の建設、学校再開などを通して東北はやっとここまで復興できました。沢山の人の助けを借りて、物質的にも精神的にも少しでも復興できたのです。
                私たちが一番忘れてはいけないことは、震災を風化させないことです。東北の方々が被災者でなくなる日が来るまで、震災を風化させず、被災者の方々の気持ちを少しでもわかろうとすることが小さな支援に繋がると思っています。



                市川:私は震災が起きてから一度も東北に行ったことがなく、被災地の現状はテレビや新聞を通してでしか知る事が出来ませんでした。しかし最近はテレビなどで震災関係のニュースはあまり放送されなくなり、今の被災地がどうなっているのか分からなくなってしまったので、自分の目で確かめてみたいという思いからボランティア活動の参加を申し込みました。
                正直行く前は、もうあれから4年も立っているし、元通りとまではいかなくても大分復興しているのではないかという気持ちもありました。しかし、実際に初めて目にした被災地に私は衝撃を受けました。確かにガレキなどは無くなってはいましたが、そこはここに本当に人が住んでいたのかと疑うくらいに何も無い更地でした。



                市川:私は今回のボランティア活動に参加して本当に色々な事を学び、考えさせられました。それは、被災地や被災者の方々の現状だったり、ボランティア活動をする側と受ける側には違いがあるという事だったりと、実際に行ってみないと分からない事ばかりでした。私がその中で一番たいせつだと感じたのは、「まだ震災中である」という感覚です。東京ではもう震災は過去の事となってしまっていますが、被災地の方は全然そんな風に思っていなくて、本当の意味で震災が終わるのはまだまだ先なんだなと思いました。だから私は、この経験を多くの人に伝えたり、今回の一回きりだけでなく、これからもボランティア活動を続ける事で、少しでも被災地の復興に貢献していきたいです。

                市川&村松:以上で明学東村山有志ボランティア・チーム第20陣の報告を終わります。ありがとうございました!

                posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                「微力だけど、無力ではない」という言葉を信じて(第20陣参加生徒の感想文4)
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                  「微力だけど、無力ではない」という言葉を信じて

                  明治学院東村山高校3年 阿部彩香


                   
                   私が明治学院のボランティア・チームに参加したいと思った理由は、実際に自分の目で被災地を見てみたかったということと、被災地の人の役に立つことをしたかったからです。東日本大震災が起きたとき、私はTVで東北の状況を見て鳥肌が立ちました。見ているだけでも辛くて、1人で見ているのが怖いほどでした。自分の街がそんな状況になった人の気持ちは、はかり知れないものだったと思います。そして被災地で活動している自衛隊やボランティアの人を見て、自分も一緒に活動したいと思いました。しかし、してみたいと思っていたけれど今まで行動にうつすことが出来ず、正直「もう遅いかな」と思っていたけれど、ボランティアの募集を知って参加してみようと思いました。



                   私達はこのボランティアで、主に仮設住宅での「子ども夏祭り」や遊園地での「いしのまきっこ遠足」など、子ども達に夏の楽しい思い出を作ってもらうための活動をしました。



                   そしてフィールドワークも沢山させてもらいました。津波が来た場所と来なかった場所は一目瞭然で、津波の被害が大きかった場所は何もなく、草原のようになっていました。どの被災家屋や被災地域を見ても心が痛み、大きな衝撃を受けました。



                   私が特に印象に残ったのは、末永克さんに案内してもらった大川小学校でのフィールドワークです。大川小学校が津波の被害にあったということは聞いたことがありましたが、実際にそこに行ってみると、校舎から海は見えませんでした。しかし、校舎のコンクリートの一部は壊れて、金属はぐにゃぐにゃに曲がっていました。私は津波が来ても、近くのものに摑まったりしたら何とか助かるかもしれないという安易な考えを持っていたけれど、そういうことは奇跡でしかなく、実際は重いコンクリートや金属がとてつもない速さで流れていて、津波に飲み込まれたらほとんど助かる見込みはないということを知りました。大川小学校の裏には山があり、何故そこを登らなかったのかという声が沢山上げられているらしいけれど、その山は足場がとても悪く、写真では緩やかな山に見えるけれど、とても急で落ちてしまいそうでした。そのときはまだ雪も残っていて、登るのはとても難しかったそうです。津波到達地点は大川小学校より遥かに高く、その場所まで全て黒い波が渦巻く海のようになったことを考えると、言葉を失いました。



                   私はこのボランティアを経て、この震災は千年に一度のものだけれど、私達が想像するよりも遥か高く・遠くまで津波は来るため、この震災について記憶し、未来の人のために語り継いでいかないといけないと思いました。



                   私達は色んな人の話を聞いたり、子ども達のための活動をしました。実際に被災していない私達が被災した方々の気持ちを理解することは出来ないと思うけど、震災について忘れないでいたいと思います。そして、佐藤先生が言っていた「ボランティアは微力だけど、無力ではない」という言葉を信じて、これからも様々なボランティア活動に参加していきたいと思います。

                  posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  学んだこと(第20陣参加生徒の感想文3)
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                    学んだこと
                    明治学院東村山高校3年 栗山万里奈



                     私は東日本大震災の様子をテレビで見て、いつか実際に被災地に行き、復興の手伝いをしたいと思っていました。私が出来ることはごくわずかで限られているかもしれないけれど、少しでも被災地の方の役に立つことができればと思ったからです。そして、毎年礼拝でボランティアチームが活動報告をしているのを見て、私もこの3年生の最後の機会で行こうと決心しました。



                     私が被災地を訪れたのは初めてだったのですが、建物が少なく、更地となった光景を見て言葉を失ってしまいました。何回もメディアで被災地の様子は見ているはずなのに、実際にその土地に立ちこの目で見てみると、伝わってくるものが違いました。かつてはここにたくさんの家があり、たくさんの人々が暮らしていたはずなのに、今では何も無く、ただ草が生い茂るだけの土地になっているのです。



                     フィールドワークでは津波の傷跡が残る場所をいくつか訪れました。震災から4年経った今でも、更地になった土地と、津波によって傷つけられた家や学校が残っていて、改めてこの東日本大震災が残していった爪跡は大きいものだと感じました。



                     私たちは、津波から逃げるために人々が避難した場所へ行きました。そこは見晴らしが良く、とても高い場所です。私も実際にそこに立ってみて、まさかこんな所にまで津波がくるとは思いませんでした。当時そこに避難していた人々も、ここにいれば安心と思っていたかもしれません。しかし、津波は人々が予想していた高さを大きく上回り、その高台にいた人でさえ流されてしまったのです。高台に避難した人の命さえ奪ってしまう、規格外の津波の大きさに恐怖を感じ、衝撃を受けました。



                     また、津波によって甚大な被害を受けた大川小学校にも行きました。その光景は今でも覚えています。壁がえぐられてむき出しになった教室や、ぐにゃっと曲げられた鉄筋、簡単に砕かれた頑丈なはずのコンクリートは、津波の破壊力の凄まじさを物語っていました。この小学校の児童は先生の指示で校庭に避難しましたが、指示通りに行動したほとんどの児童が流されてしまい、自分の判断で先に逃げた子が生き残ったというのです。きちんと先生の指示を聞いた子が亡くなったと聞いて、胸が張り裂けるような思いになりました。またそれと同時に、こういう災難に逢った時は、自分の命は自分で判断して守らなくてはいけないということを学びました。



                     東北の子どもたちと触れ合う機会もあったのですが、私は普段小さい子どもと接する機会があまりないので、初めはどうしていいか分からず不安でした。しかし子どもたちは、震災を体験したと感じさせないほど本当に元気で、人懐っこく、初対面にも関わらずよく話しかけてくれる優しい子ばかりでした。一緒に水遊びをしたり、流しそうめんをしたり、また違う日には遠足でアスレチックで遊んだりと、とても楽しい時間を過ごすことができ、私の方が楽しんだのではないかと思うほどです。子どもたちにとって、夏休みの良い思い出になってくれたらいいと思います。



                     このボランティアの3泊4日は、1日1日がとても濃い内容で充実していたと思います。様々な貴重な体験をすることができました。そして、今回のボランティアを通して、今まで私の中で東日本大震災は過去のものとなっていたことに気付かされました。しかし、実際にこうして被災地を訪れてみると、震災は今もなお続いているのだと分かりました。全てが復興しているわけではなく、建物が破壊されたままであったり、未だに行方不明の家族が見つかっていなかったりと、震災から4年経った今でも悲しんでいる人々がいるということを、心に留めておかなければなりません。この震災で起こった悲惨な出来事を何年経っても忘れることがないように、たくさんの人に伝えることが大切だと思います。

                    posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    常に心に留めておくこと(第20陣参加生徒の感想文2)
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                      常に心に留めておくこと

                      明治学院東村山高校3年 村松有紗


                       私がこのボランティアに参加した理由は、このボランティア・チームが単発的なものでなく、金銭的な支援でもなくて、東日本大震災から四年と四ヶ月の間被災者の方たちと触れあい、一緒に遊んだり、一緒にご飯を食べたりして活動を続けていたからだ。私がやりたかったボランティアは物質的なものだけでなく、精神的なものも含めたものであったので、私はこのボランティアへの参加を決意した。



                       私は今回初めて東北ボランティアに行った。ボランティア初日のフイールドワークで私がみた景色は、一生忘れることのできないぐらいの衝撃があった。それはなにもない、ただ草が生えていて、大きな空が広がっている広い大地であった。風のふく音しか聞こえない、あの大きな更地に立っていた私は自然に胸が熱くなった。ここに町があって人々が生活をしていたことは全く想像することができなかったし、ここに次の世代が住むことも想像できなかった。そして私は四年たった被災地はここまでしか復興していないのかと思ってしまった。



                       しかし四日間の様々な活動を通して、やっとここまで復興することができたのだと思った。私たちが子どもたちと遊んだ二日間はとても楽しい時間であった。子どもたちが笑顔で走り回っていたり、楽しそうに流し素麺をしたりしている時間は、ここが実際に被災地であることや、子どもたちが被災者であることを忘れるほどであった。しかし、子どもたちと遊んでいる場所は埋め立てられた野球場だったことを実感させられた時、とてもつらいきもちになった。仮設住宅の周りには野球の得点掲示板や観客席があり、グラウンドはアスファルトに変えられ、そこに子どもたちは住んでいるのだ。



                       そしてつい1ヶ月前まで津波と地盤沈下で海水が引かなかった地域では、行方不明者の捜索がはじまったばかりだった。
                       



                       ここまでの話では「まだここまでしか復興していないのか」と思うかも知れないが、東北はやっとここまで復興することができているのだと私は思った。すべてのものが失われたあの日から、瓦礫の撤去や仮設住宅の建設、学校再開などを通して東北はやっとここまで復興できた。沢山の人の助けを借りて、物質的にも精神的にも少しでも復興できたのだ。
                       



                       そして私たちが一番忘れてはいけないことは、震災を風化させないことである。東北の方々が被災者でなくなる日が来るまで、震災を風化させず、被災者の方々の気持ちを少しでもわかろうとすることが小さな支援に繋がると思っている。


                       

                      posted by: とび | 第20陣(2015年7月) | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |