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    椿の園(伊豆大島でのボランティアに参加して)
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      椿の園


       
      (大島元町神達地区、土石流の生々しい傷跡が残る)

      2013年11月22日〜24日、SCFボランティア・チームの一員として伊豆大島でのボランティア・ワークに参加してきました。

       SCF(Student Christian Fellowship)は日本キリスト教団の学生・青年センターで、私たち明学東村山有志ボランティア・チームを支援してくださっている団体の一つでもあります。SCFではこれまで60年以上にわたり、知的障がい者福祉施設である大島藤倉学園でのワークキャンプをおこなってきました。今回も大島藤倉学園に滞在し、大島藤倉学園からの団体ボランティアとしてワークに参加しました。



       私たちのワーク先は三原山山麓にある、ホテル椿園でした。椿園は藤倉学園発祥の地に建てられたホテルであり、藤倉学園の利用者さんたちの研修を受け入れてくださっている施設の一つでもあります。5週間前の台風で土石流が流れ込み、大きな被害を受けました。そのホテル椿園の復旧のお手伝いをさせていただきました。

       23日のワーク内容は、被災家財の洗浄作業や家屋内の掃除、敷地内の泥出しでした。


      (11月23日、泥出し作業開始前)

      (泥の中から冷蔵庫を運び出す)


      (23日の作業終了後。奥の方の泥出しは終わらず、翌日に継続となりました)

       場所によっては60cm以上の泥が堆積していました。その泥を一輪車に載せ、集積場に運びました。泥の中にはお皿や衣類、食料品、電話、冷蔵庫など、たくさんの被災家財が埋まっていました。泥と石、木の根や枝、被災家財などを分別しながら、運び出しました。


      (大島元村教会)

      (早天礼拝で説教をして下さった並河光雄牧師とフルートの奏楽をして下さった並河眞理子先生)

      24日は大島元村教会で早天礼拝を守ってから、再びホテル椿園へ向かいました。前日に引き続き、泥だし作業をしました。泥の中から椿の木が出てきました。5週間も泥の中に埋まりながらも生き続けた椿の強さに心打たれました。来年には再び花を咲かせてほしいと願い、椿園をあとにしました。


      (泥の中から「発掘」された椿の木)


       
      大島元村教会に戻り、着替えてから元町港へ向かいました。その途中に、がれき仮置き場の前を通りました。「あの赤い車は、清水和子さんの車です」大島元村教会の並河牧師が、つらい表情で教えて下さいました。



        保育園の理事長や町議会議員を歴任し、教会でも役員として中心的な役割を担っていた清水さん。10月16日未明の土石流で自宅ごと約20メートル流され、18日にご遺体が発見されました。葬儀前夜式には教会に入りきらないほど多くの方々が参列されたそうです。

       

      がれきの山の奥に、富士山が見えました。こんな悲しい富士山の風景を初めて見ました。この景色を心に刻み、今も悲しみ・苦しみの中にある方々のために祈り続けたいと思いました。そしていつかまた大島に来て、椿の花が咲き乱れる園を訪ねたいと思います。


      (台風と土石流に耐えて花を咲かせた椿)

       

       

      発信:佐藤飛文(明学東村山有志ボランティア・チーム代表、SCF理事)

       

      posted by: とび | 下見報告 | 20:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      仙台市若林区七郷地区を訪問しました
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         2013年7月12日、仙台市若林区の七郷地区を訪問しました。最初に七郷中央公園仮設住宅を訪問し、ラジオ体操と「お茶っこ」に参加した後、8月8日の流し温麺の打ち合わせをさせていただきました。この仮設住宅では昨年の12月に第11陣がクリスマス会のお手伝いをさせていただきました。みんなでクリスマスケーキを作ったり、チョコフォンデュをしたり、ビンゴ大会をしたりして、とても楽しい会になりました。集会所には第11陣の寄せ書きを掲示してくださっていました。夏にもまた高校生たちがボランティアに来ること、みんなで流し温麺をすることをとても楽しみにしてくださっているそうです。


        (2012年12月22日、クリスマス会にて)


         打ち合わせの後、七郷笹屋敷地区を訪問しました。仙台東部道路をくぐると一変する被災地の荒れ果てた風景…かと思いきや、今年は田植えがされていて、なんだか嬉しくて思わず涙がこぼれました。田んぼに流された被災家財を撤去して、生い茂った雑草を刈り、塩を抜き、土を入れ替えて、田んぼは2年でここまで復旧しました!


        (七郷笹屋敷地区の水田、2013年7月12日撮影)

        (七郷笹屋敷地区の同じ場所、2011年3月31日撮影)

         
         復興住宅の建設はまだ1%くらいしか進んでいないそうで、まだしばらく仮設住宅や借り上げ住宅などでの生活が続く見込みだそうです。復興住宅が完成し、仮設住宅がなくなるまで、七郷地区の方々と寄り添い続けてゆきたいと願っています。


        (復興住宅と市営地下鉄の新駅建設予定地)

        posted by: とび | 下見報告 | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        女川町熊野神社例大祭に行ってきました
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           2013年5月3日、宮城県牡鹿郡女川町熊野神社の例大祭に行ってきました。春に第12陣がライトアップ設置のお手伝いをした「We♡女川」は、芝桜で彩られていました。


           
           いつもボランティアでお世話になっている末永さんや岡さん、高橋さんご一家、女川復幸祭で出会った多くの町民の皆さんとも再会することができました。


           

           高台にある熊野神社からおみこしを担いで階段200段をくだり、さらに港周辺に向かいました。かつては街が広がっていた港周辺は更地になっていて、かさ上げ工事中でした。女川おちゃっこクラブの岡さんに「岡さんのお店はどのあたりにあったのですか?」と尋ねると、「うーんと、あの黒い車が停まっているあたりかな? 本当にわからなくなっちゃったね。まあ人生そんなもんさ!」と元気に(しかし少し寂しそうに)答えて下さいました。


          (第11陣の生徒たちに震災時のお話しをしてくださった岡さん)

          「ここにパチンコ屋があってね…」「地盤沈下で海になっちゃっているけど、あそこまで川だったんだよ…」休憩中に町民の皆さんから色々とお話しを伺うことができました。



           休憩後、港周辺(西区)から鷲神地区と上区に向かいました。坂道を登って行くと、更地から建物があらわれはじめます。「この高さまで津波が来たんだ…」と、歩きながら実感することができました。おみこしを担ぎながら坂道をみんなで駆け上った時は、3月の「津波伝承・女川復幸男」を思い出しました。


          (ガレキの中から発見された「希望の鐘」)

          昼食・休憩後は女川きぼうのかね商店街へ向かいました。高橋さんご一家もメンバーになっている獅子舞「まむし」の演舞や、四日市の諏訪太鼓龍雅の演奏も観ることができました。




           第5陣(
          201112月)と第11陣(201212月)がイルミネーションの飾りつけをお手伝いさせていただいた女川コンテナ村商店街にも行きました。


          (女川コンテナ村商店街)

           最後は女川地域医療センターから熊野神社まで、200段の階段をひたすら登りました。翌日は肩や体の節々が痛くなりましたが、充実した一日となりました。



          (この日は金華山航路が再開され、仮設の観光桟橋では記念式典も行なわれていました。写真右下は津波で横倒しになったままの旧江島共済会館)

          「来年はぜひ高校生達も連れてきてくださいね!」と女川の皆さんに言われました。前日に授業があるので(今回は前日の17時30分頃に東京を出発して、浦宿行きの最終列車にやっと間に合い、神社の社務所に泊めていただきました)、高校生を連れて来るのは難しいのですが、ぜひ卒業生などを誘って来年も参加したいと願っています。(発信:佐藤飛文)


           
          posted by: とび | 下見報告 | 10:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          2年後の気仙沼
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             2013年3月12日〜13日、気仙沼に行ってきました。いつもボランティアでお世話になっている鈴木さんご一家のもとを訪ねました。美味しい牡蠣シチューとメカブと、すがとよ酒店の「恋文」をごちそうになりました。
             鈴木さんと初めて会ったのは2011年7月11日、震災から4か月後の時でした。「何か高校生にも出来るワークはありませんか?」と相談すると、仮設住宅の側溝の泥出しと草むしりを紹介して下さいました。中学校のグラウンドに突貫工事で建てた仮設住宅で、側溝に泥がたまって水が流れず悪臭がしてしまい、虫もわいて困っているとのことでした。第2陣はここで作業をさせていただきました。


            (第2陣は2011年7月23〜27日、気仙沼市と石巻市で活動しました)

            (側溝の泥出しと周辺の草むしりをしました)

            (土嚢袋に泥と草を詰めて、作業完了!)
              
            (2011年7月25日、作業前)(2011年7月26日、作業後)(2013年3月13日現在)

             第2陣が作業をした側溝には、また泥がたまっていました。ぜひまたワークに来たいと思います。

             
            (2011年7月11日)       (2013年3月13日)

             東日本大震災の津波の際、270名以上の人が避難した宮城県気仙沼合同庁舎(2階まで浸水し孤立)は、取り壊し作業が進んでいました。

             
            (2011年7月11日)      (2013年3月13日)

             津波で1・2階部分が流されてしまった男山本店は、曳家作業が行われ、元の位置に戻されていました。国内外の募金により応急修理がなされたそうです。国登録有形文化財として、保存・修築作業が進められてゆくのでしょう。

             
            (2011年7月11日)                 (2013年3月13日)

             気仙沼漁港から約800メートルの鹿折唐桑駅前まで流された第十八共徳丸は今も残っていました。報道によると、船主が4月から解体をはじめる方針だそうですが、保存を求める声もあるそうです。復興のために何を壊し、記憶を風化させないために何を残すのか、難しい問題です。今度ここに来るときにはまた景色が変わっているかも知れません。犠牲になった方々のことを思って祈りをささげ、カメラのシャッターを押しました。
             今度の第12陣は気仙沼へは行きませんが、ぜひ第13陣で気仙沼に行きたいと願っています。
            posted by: とび | 下見報告 | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            3月12日の石巻
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               2013年3月12日、ボランティア・チーム第12陣の打ち合わせで石巻に行ってきました。前日にはたくさんの人が訪れていた「がんばろう!石巻」看板の前も、この日はとても静かでした。



               津波で犠牲になった園児たちが乗っていた幼稚園バスの発見現場には、花束とジュースが供えられていました。下の写真は2012年3月11日に同じ場所で撮ったもの。献花台が別の場所(「がんばろう石巻」看板の前)に移動されたこともあり、だいぶ景色が変わっていました。


              (2012年3月11日)

               ここを初めて訪れたのは、第3陣の時でした。その時も花やジュースが供えられていました。


              (2011年7月27日)

               第4陣、第5陣でもここを訪ね、みんなで黙とうをささげました。


              (2011年12月23日)

               ここで起きた悲しい出来事を忘れずに心に刻み、祈り続けるために、第12陣でも同じ場所を訪ねようと思います。
              posted by: とび | 下見報告 | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              蒼い海と青い空の下で
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                 2013年1月29日、ボランティアの下見と打ち合わせで南三陸町の戸倉地区に立ち寄りました。私たちのボランティア・チームがお世話になっている仮設住宅には、この地区出身の方々が多く避難されています。去年の7月に下見に来た時は、まだ戸倉小学校の校舎が残っていました。




                (2012年7月26日、戸倉小学校)

                 ところが、その翌週に第8陣のみんなと来た時は、小学校の取り壊し作業がはじまっていました。見ているのがつらくなる光景でした。


                (2012年7月31日)

                 戸倉小の校舎はついに解体されてガレキ(被災家財)の山となり、どんどん寂しい景色になってゆきます。


                (2013年1月29日、戸倉小学校跡)


                 高台にあった戸倉中の校舎はまだ残っていました。



                 海抜15メートルの所にあった戸倉中ですが、20メートルを超す津波が襲い、校庭にいた生徒と教師が犠牲になってしまいました。



                 学校の時計はあの日から止まったまま…。



                 先日、高台のゴルフ場開発跡地に集団移転する計画がやっと決まったそうです。住民の方々がこの地に帰ってくる日が来ることを、そして戸倉地区がこの蒼い海と青い空にふさわしい景色に戻る日が来ることを祈りながら、復興を見守り続けたいと思います。



                posted by: とび | 下見報告 | 18:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                再会
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                  2013年1月29日、ボランティアでお世話になった方々へのお礼の挨拶と第12陣以降の相談のため、東北に行ってきました。前日の夜行バスで東京を出発し、早朝に仙台に到着。大崎に住む末永克さんのもとを訪ねました。末永さんと初めて会ったのは2011年4月29日、石巻市湊町の鈴木さん宅の泥出しを一緒にしました。それ以来、第1陣から第11陣まで継続して関わって下さっています。いつもありがとうございます!



                  末永さんの車で石巻に移動し、出勤途中の高橋圭介さんとコンビニで待ち合わせ、第11陣の活動報告書と寄せ書きをお渡ししました。高橋さんと初めて会ったのは2011年12月24日、第5陣が女川コンテナ村商店街でイルミネーション「灯」の飾り付け作業をした時に、お話しをして下さいました。それ以来、第7陣の清水仮設住宅での炊き出しや第11陣の「灯」飾り付け作業などをマッチングして下さっています。「3月の女川復幸祭にもサンマを焼きに来て下さいね!」とお誘いを受けました。ぜひ第12陣で女川復幸祭に行こうと思います。



                  次に大街道の大宝院へ行き、天野秀栄さんと再会(その記事はこちら)。3人で門脇町の山形屋商店へ行きました。山形政大さんと初めて会ったのは2011年11月24日、石巻アイトピア商店街のイベントで「即席みそ汁」の試食販売をされていました。それ以来、第5陣・6陣・7陣・8陣・10陣で山形屋商店を訪ね、被災した工場内を見学させていただき、貴重な証言を伺っています。この日は新製品の「しょうゆ麹」を試食させていただきました。とても美味しかったです! 来年度の文化祭でぜひ販売したいと思います。今後ともよろしくお願いします!


                  (新製品の「しょうゆ麹」。ラベルが完成したら一般販売開始です!)

                  今回、新しい出会いもありました。南三陸町にある金秀寺の住職・酒井禅悦さんです。酒井さんは震災当時、仙台にいました。震災の影響でライフラインが止まり、電車もバスも不通な中、酒井さんは仙台から南三陸町まで、歩いて帰ろうとします。一般道はガレキで埋まって通行不能だったため、三陸道や気仙沼線の線路を歩き、橋が流されていたので浅瀬を探して川を渡って帰ってきたそうです。翌日の午後にやっとたどりついた南三陸町は、景色がすっかり変わっていました。お寺の檀家さんも60名以上が犠牲になったそうです。当時の写真を見せて頂きながら、貴重なお話しを伺うことができました。今度はぜひ高校生を連れて、再び金秀寺を訪ねたいと思います。



                  (金秀寺。酒井さんの写真は撮り忘れました…)

                    最後に登米市の南方仮設住宅の「子ども未来館」に行きました。南三陸町から南方に避難している子ども達と初めて出会ったのは2012年3月30日、第6陣で石巻焼きそばとフルーツポンチを子ども達と一緒に作って食べました。その後も第8陣では流し温麺大会を、第10陣では仮設住宅の夏祭りでスーパーボールすくいとヨーヨー釣りをさせていただきました。半年ぶりに子ども未来館を訪ねると、なおや君が私と花札をするために待っていてくれました。実は去年の7月に打ち合わせで南方に行った時に、なおや君と一緒に花札をしたのですが、その時初めて遊んだ花札が面白かったらしく、「またやろうね!」と約束していたのでした。年末年始におじいちゃんから役などを教えてもらったらしく、だいぶ上達していたので驚きました。もう一つ嬉しかったのは、8月の夏祭りの時にすくったスーパーボールを子ども達が今も大切に持っていてくれたことです。「今度はいつ来るの?」と聞かれたので、3月に再会する約束をしました。南方の子どもたちは、明治学院の高校生たちと遊ぶことを楽しみに待っていてくれています。第12陣のみんなとまた来ようと思います。



                   今回の下見で春の第12陣の構想がだいぶ固まりました。こうして現地の方々と再会してお話しを伺うことで、「また来よう」「続けよう」という思いが強くなってゆきます。時間の関係で今回は再会できなかった方々と再会するためにも、また東北に足を運びたいと思います。(発信:佐藤飛文) 

                  posted by: とび | 下見報告 | 20:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  生まれ変わる町
                  0


                     2013年1月29日、石巻の大街道南にある大宝院を訪ねました。そこで僧侶の天野秀栄さんと再会しました。天野さんは東北でのボランティアに参加したことをきっかけに、東日本大震災の犠牲者を供養するために石巻に移り住み、お寺を開きました。私(佐藤)が天野さんと出会ったのは去年の2月11日、NPO法人ぐるっとの焼きそばカーお披露目の時でした。その後、何度か「通りの駅」のイベントでご一緒し、8月1日の川開き祭りの日に偶然「元気の湯」で再会した時は、第8陣の生徒たちにお話しをしていただきました。第10陣の石巻夕涼み会の時も栄光幼稚園にブータンから贈られたダルシンを持ってきてくださいました。


                    (2012年8月1日、第8陣のメンバーにお話しをしていただきました)

                    (2012年8月21日、石巻夕涼み会でダルシンを持ってきてくださいました)

                     「天野さんのお寺に一度行って見たい」と以前から思っていたのですが、今回初めて訪ねることができました。借家を改装して開いたお寺です。この日は2月3日の節分の準備をされていました。お寺の隣りはバプテスト教会。被災者支援センターの拠点「エマオ石巻」もこの近くにあります。
                     この地区は2011年5月に第1陣が泥出しと被災家財の整理作業をした場所でもあります。その頃はヘドロと被災家財でいっぱいでした。
                     






                    (2011年5月4日)

                     やがてヘドロと被災家財が撤去され、ライフラインが復旧し、壊れた家屋を修復し、再び住めるようになりました。ここに戻って生活を再開した人達がいて、そして新しく住み始めた人達もいます。この地にお寺が出来、教会が出来、ボランティアの拠点が出来、被災された方々の慰めになっています。
                     生まれ変わる町の景色をこれからも見つめ続けたいと思います。
                    posted by: とび | 下見報告 | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    田老の3.11を語り継ぐ
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                       (宮古市田老町、高さ10メートルの第一防潮堤)

                       2012年12月27日、明学東村山社会科巡検で宮古市田老地区を訪ねました。田老には「学ぶ防災ガイド」というプログラムがあり、宮古観光協会の元田久美子さんが私たちを案内して下さいました。

                      宮古市田老地区では、明治三陸地震(津波高さ15m)、昭和三陸地震(津波高さ10m)の教訓を生かし、『万里の長城』と呼ばれる防潮堤(X型の二重堤防)や避難道路が整備されていました。しかし、東日本大震災の津波は高さ10mの防潮堤を超えて町を襲いました。防潮堤が無駄だったわけではありません。防潮堤があったおかげで津波の強さを弱め、到達時間を遅らせることができ、助かった命も沢山ありました。しかし「防潮堤があるから安全・安心だ」という先入観を持ってしまったために受けた被害も少なからずありました。



                      (『万里の長城』とも呼ばれたスーパー堤防)

                      (手前が破壊された第二防潮堤、奥が壊れなかった第一防潮堤)

                       実際に防潮堤の上に立ってみると、その高さを実感することができます。村人たちが自分たちの手で作り、それを建設省が改良工事をして補強された第一防潮堤はそのまま残っていますが、水産庁所管の第二防潮堤は大破してしまいました。第二防潮堤の周辺は特に被害が甚大で、たろう観光ホテル以外は流失して土台しか残っていませんでした。津波の引き潮で現在でもご遺体が発見されていない方がこの地区では
                      30人以上いらっしゃるそうです。




                       たろう観光ホテルは、下層階は津波で外装が流されてしまい、鉄骨がむき出しになっていますが、非常階段と屋内階段を使って最上階の6階まで上がることができました。6階の客室で、3月11日に同じ客室から撮影されたビデオを見せて下さいました。衝撃的な映像に言葉を失いました。


                      (1階)


                      (2階)

                      (3階)




                      「津波のことを思い出して語ることは辛いです。でも今こうして生かされていることの意味を考えた時、体験を語り伝え、防災教育のために役立ててほしいと思うようになりました。私たちは元気です。また田老に来てください!」

                      元田さんのメッセージに心打たれました。



                       

                       第一防潮堤の近くに、田老第一中学校があります(写真左奥)。2012年11月に福岡で開かれた地域民主教育全国交流研究会で、私(佐藤)は田老第一中学校の嶋崎幸子先生からお話しを伺いました。「山に逃げろ!」という校務員さんの叫ぶ声を合図に生徒と一緒に山に向かって走ったこと、一つのおにぎりを三人でわけて食べて眠れぬ夜をすごしたこと、田老の中学生・高校生たちが避難所生活をしながらボランティア活動(支援物資の運搬や泥だし)に参加したこと、生徒たちが受けた心の傷の深さ、そして生徒たちが震災を通して強くなっていったという話しをされていました。

                       田老一中の生徒たちがよく口にする言葉は、「負げねえし」という言葉だそうです。入学式の歓迎の言葉の中で、生徒会長が次のように述べたそうです。


                      「私たちは津波のことを忘れてもいけないし、津波のことを引きずってもいけません。現実を受け止め、一人ひとりができることを精いっぱいやっていきましょう。それがいつか田老の町を再建することにつながるのだと思います。

                      校歌の3番に私たちの進むべき方向が示されています。
                          防浪堤を仰ぎ見よ
                         試練の津波 幾たびぞ
                         乗り越えたてし 我が郷土

                         父祖の偉業や 跡継がん

                       田老の先人たちの跡を継ぐのは私たち田老一中生です。私たちはどんなときでもあきらめず、笑顔を忘れず、今までよりも強くて温かい田老一中を、みんなでつくり上げていきましょう。」

                       

                       今回の社会科巡検先をどこにするか教科会で話し合っていた時に、私は「田老に行ってみたいんですが…」と提案しました。田老には素晴らしい生徒たちと教師たちがいることを知っていたからです。すると「俺も田老の防潮堤を見に行きたい!」「釜石にも行きたいんだけど…」「せっかくなら世界遺産に登録された平泉にも行きたいね」と同僚の先生方が賛同して下さり、今回の社会科巡検は岩手に行くことが決まりました。巡検で学んだことを、これからの授業で活かしてゆきたいと願っています。

                      posted by: とび | 下見報告 | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                      命の道
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                         2012年12月27日、明学東村山中高社会科巡検3日目に岩手県岩泉町小本地区を訪ねました。現地ガイドの竹花敏明さんが私たちを案内して下さいました。
                         小本川の河口には巨大な防潮堤と水門がありました。しかし東日本大震災の津波は高さ13mの防潮堤と水門を越えて町を襲いました。河口から
                        1.5kmの市街地の90%が浸水し、多数の家屋が流出しました。



                        (小本川水門)




                        (水門を超えて町を襲う津波)


                        (被災した小本中学校の校舎と、完成したばかりだった屋内プール)


                        (流されてきた家屋が道路を塞いだそうです)


                        (小本小学校と津波避難階段)

                         津波は河口から
                        500mの位置にある小本小学校も襲いましたが、児童たちは学校から避難階段(写真手前)を通って国道に出て、高台に間一髪で避難することができました。この避難階段が設置されたのは2009年。それまでは体育館の横の階段を登って国道に出てから高台に向かっていました。


                        (体育館横に設置されていた、元の「避難階段」)

                        「津波から避難するのに、海側に向かうのはまずいのではないか」と地域の住民たちが要求して、新しい避難階段が設置されたそうです。子ども達を救った避難階段は、まさに「命の道」となりました。



                        (子ども達や住民の方々が高台に避難した「命の道」)

                         小本地区には町の所々に津波記念碑が建てられていました。地区の自主防災会が何度も避難訓練をおこない、避難の際に介助が必要な方々がどこに何人住んでいるかなどを事前に把握していたため、みなで協力して避難することができたそうです。




                         小本地区で今回津波の犠牲になったのは3名。海を見に行ってしまった方と、倉庫のカギをかけに戻ってしまった方だそうです。現地の方のお話を伺い、あらためて防災教育の大切さを痛感しました。

                         もう一つ特記したいことは、小本小学校には分校があり、その大牛内分校が避難所として用いられたことです。分校には薪ストーブや太陽光熱発電の設備があり、夜は温まって過ごすことができたそうです。最近は統廃合で廃校になる学校が増えていますが、あらためて避難所としての学校の役割を認識させられました。



                         竹花さんが最後に私たちを案内して下さったのは、モシ竜の化石発見場所の近くにある、熊の鼻展望台でした。美しい三陸海岸の景色でしたが、震災の時は引き波で海底が見えたのだそうです。波が引いた後に、巨大な津波が来襲しました。


                        (2011年3月11日、波が引いて行った時に撮影された写真)

                        「将来きっと震災はまた起きるでしょう。次はいつ、どこで起きるかわかりません。ぜひ今日、小本の被災地を歩いて学んだことを、学校の防災教育に役立ててください」と竹花さんはおっしゃっていました。ご自身も被災され、年末でお忙しいにもかかわらず、私たちに体験を語り、現地を案内して下さったことを感謝いたします。また、お土産で小本で採れた昆布もいただきました。ありがとうございました!

                        posted by: とび | 下見報告 | 19:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |